・ Martinov, « Iconographie de S. Jean l’Evangéliste » Revue de l’Art chrétien, 1879他・ 日本語では『黄金伝説』がもっとも入手しやすいが、周知のとおりこれはシャルトルのステ⑾典拠については以下を参照。この問題は複雑で、特に挿絵入りのヨハネ伝がいつの時点で窓の図像と関わるのか、現状では解明されていない。・ Colette Manhes-Deremble, op.cit.(1993), pp. 182−183.・ Paul Meyer, Les légendes hagiographiques dans l’Histoire littéraire de la France, tome 33, Paris,ンドグラスよりも後代の伝説集成。⑿かつてマネスはサンスの窓の断片を12世紀末(1180?)とし、最古の作例に位置づけたが、今回の『カタログ』ではサンスの解釈や年代設定に問題があることが判明した。ヨハネ伝場面と同定できるか再検討をした結果、従来言われていた3場面から1場面(油刑)のみに縮小した。⒀2006年Colloqueの報告書で年代が大幅に遡る。大聖堂の再建年代、聖マルタン旧在とすればさらに年代が遡る可能性が出てくる。現地で観察した結果、後世の修復は多いものの画面構成や様式的な特徴にはコルプスの年代設定よりさらに数十年遡ると判断された。13世紀前半のやや早い時期に措くことができるように思われる。104。1906.⒁1810年に旧サン・ジュリアン修道院は物置に使われていたという。大聖堂にステンドグラスのパネルが移設された折に、明らかにサン・ジュリアンのものとは異質なガラスが混在していたと記録にある。それが1804年に破壊された聖マルタン聖堂のものと考えられている。シャルトル、リンカン、トゥール、アンジェの繋がりが今後の研究の焦点となろう。― 465 ―
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