鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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はじめに北アフリカのローマ美術は、2世紀以降のアフリカ諸都市のローマ帝国属州化に伴って発展する。なかでも膨大な作例が遺されているのは、公共施設及び私邸の室内外の床面を装飾する舗床モザイクである。その豊富な色彩と図像レパートリーは、ヘレニズム絵画を基盤としながらも、属州アフリカ(モロッコ東部、アルジェリア、チュニジア、リビア)の美術として独自の性格をもち、地中海世界において、最も自由に独創的な表現を展開した。とりわけ近年の研究では、帝国内の都市社会自体が変容し、芸術領域においても地方的主題が次第に顕著となる帝政期後半、すなわち3世紀から5世紀の“ローマン・アフリカ様式”の本質をめぐる議論がなされている(注1)。その課題の一つとして挙げられるのが、港湾風景への現実的な関心と、神話風景の象徴言語が混交した地誌表現である。カンパニア壁画の風景の伝統的なモチーフを踏襲しながらも、ある特定の地域を写実的に再現する都市景観図の発展に伴って、古代末期の地誌の描写は建築表現に重点がおかれ、より経験的かつ風物的な風景図として成立する(注2)。こうした背景を踏まえ、本稿では、北アフリカの舗床モザイク芸術において独自の発展を遂げる地誌表現に着目し、この特殊な領域の貴重な作例であるハイドラの舗床モザイク《地中海の都市と島々》〔図1〕を中心に、その図像編成を検討する。複数の島が浮かぶ海を俯瞰する地形図的なその風景は、地中海の諸地域を特徴づける地誌的要素を詰め込んだ何らかの現実的意向をもち、その一方で、プットーたちが戯れるある種の理想的な海浜風景として表現されている。古代地中海世界の聖域を描いた最古のカルトグラフィ(絵地図)の一つとして資料的価値も見いだされる本作品は、初期キリスト教の「聖蹟図」や、中世の「マッパ・ムンディ(世界地図)」へ至る都市表現の変遷と継承問題という文脈からも非常に興味深い作例である。Ⅰ.ハイドラの舗床モザイク《地中海の都市と島々》の作品概観本作例は、アルジェリアと国境を接するチュニジア中西部内陸都市ハイドラ(注3)は、第三軍団アウグスタの駐屯地としてアウグストゥス時代(BC27−AD14)に建設され、カルタゴ(カルタゴから260km)からテウェステ(現ランベス、アルジェリア)へ向かう街道の要衝として栄えた。このローマ時代の都市壁外のネクロポリス─北アフリカの舗床モザイクの地誌表現に関する考察─研 究 者:パリ第四大学 博士後期課程  瀧 本 み わ― 469 ― 風景画からカルトグラフィ(絵地図)へ

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