鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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区域に位置する遺構内で発掘された総面積30m2(5m×5.4m)の大舗床モザイク〔図2〕であり、現在はカルタゴ考古博物館に所蔵されている。現存する建築要素や考古資料があまりにも乏しく、現地点ではこの遺構が私邸であったか、あるいは公共建築物であったかを判断するのは困難である。とはいえ、高台からワジ(枯川)を眺望するロケーション、3方に配されるエクセドラといった室内構成やその広さから、このモザイクが配された空間が遺構内で重要な機能を果たしたことは間違いない。また、同時代作例との様式比較によって、作品の制作年代は3世紀末から4世紀初頭に帰属されている(注4)。この舗床モザイクには、シチリア及びエーゲ海周辺の15の都市や島が、一種の名所図の形をとって、海上の浮島として描かれている。断片的に残された部分があるため、実際に判別できるのは12の地域であるが、これらの浮島は、ラテン語の銘記によって明確な地名が与えられている〔図3〕。実際の地図と照合すると明らかなように、一見実利的な見地からの地形図、あるいは図式的な見取り図の表現をとった地図の形式を採用しながらも、現実の地理的状況とかけ離れた配置をしていることが指摘できる(注5)〔図4〕。とはいえ、方形の中央画面が海の魚介モチーフと幾何学模様で四方を囲まれていることから、描かれた都市と島々はなんらかの主題に基づいた世界圏を構成するために選択されている。先行研究では、ウェヌス信仰に関する古文献が端的に触れられたうえで、2世紀から4世紀の北アフリカでとりわけ人気を博した「海のウェヌス」図像の文脈から解釈し、その主題をウェヌスの聖域を描いた巡礼図であったと結論づけられている(注6)。実際に描かれた地名を、ウェヌスに関する膨大で錯綜する古文献から検証していくならば、キュプロス島、イダリウム、キュティラ島はアフロディテ=ウェヌス誕生及び漂着の地として、クニドスはプラクシテレス作の著名なウェヌス像を所有し、パフォスはウェヌスの神殿、ロドス島にはその聖域、レムノス島はウェヌスを祀る祭事、エリュクスにはウェヌスの聖山と神殿を有していた。また筆者は、ハイドラ近隣のローマ都市シッカ・ウェネリア(注7)とエリュコスの間でウェヌスの放った鳩が地中海を渡ってシッカ・ウェネリアへ旅立つ際に執り行われる船出の祭祀に着目し、この地域におけるウェヌス信仰の一つとして、このような聖域間での移動をモチーフとした空想上の巡礼といった観想風景が根付いていたのではないかと考えている。また、画面中央という構図的にも最も重要な位置を占めるナクソス島は、ウェヌスよりもむしろディオニュソスとアリアドネ、あるいはテセウスとの結びつきが強い土地柄である点、そして、画面上でナクソス島に周囲に配置されるレムノス島、エリュコス、ク― 470 ―

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