研 究 者:東洋大学 非常勤講師 東京大学 教養学部 教務補佐員 林 久 美 子はじめに流行=ブームであるからには終わりがあるわけだが、その明確な時期や、何をもって終わりとするのかもまた、ブームであるからこそ難しい問題だろう。そのため、ジャポニスムの終焉について、これまではっきりと定義したものはあまり見られないが、宮崎克己氏は「1900年を越えると急速に沈静化」したと指摘している。そして、沈静化の要因としては、①日本美術の入手が困難になったこと、②アフリカ彫刻などプリミティヴィスム愛好へと趣味が変化したこと、③「日本」の持っていた特別なコノテーションが失われたこと、の三つを挙げている(注1)。確かにこれは説得力のある説で、納得できるものである。また概ね、フランスにおけるジャポニスムは、1900年から遅くとも1910年頃には衰退したというのが一般的な了解でもあると思われる。そして、この一般的な了解のみで片付けられ、ジャポニスムの終末期、あるいは20世紀以降の日本美術愛好については、従来ほとんど顧みられていないのが現状である。そこで本槁では、20世紀初頭のフランスにおける日本美術愛好について、レイモン・ケクラン(Raymond Kœchlin, 1860-1931)を採り上げて検討してみたい。1.レイモン・ケクランとはレイモン・ケクラン〔図1〕という名前は、ジャポニスムをめぐる多彩な人脈の中でしばしば散見されるものであるが、一般的にはほとんど無名の人物だろう。彼に関する日本語による先行研究としては、瀬木慎一氏の論考「レイモン・ケクランとコレクターたち」(注2)、及び、ケクランの著作復刻版に付された馬渕明子氏による「解19世紀後半のフランス、さらには西欧諸国に広がったジャポニスムとは、ごく端的に言えば、西欧美術に与えた日本美術の影響である。ジャポニスム研究では、日本美術によって生み出された新しい造形原理や様式、技法、それらによってもたらされた西欧美学の変化、といった高次の芸術的問題が主な研究対象となってきた。しかし、ジャポニスムの土台、背景にあるのは、エキゾチズムをも含み、一般庶民にまで広がりを見せた社会現象としての日本趣味熱であった。いわば、社会全体を席巻した流行である。― 482 ― 20世紀初頭のフランスにおける日本美術受容─レイモン・ケクラン(Raymond Kœchin 1860-1931)を中心に─
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