1890年パリの国立美術学校で開催された浮世絵展は、日本美術ブーム始まって以来の大規模な浮世絵展で、そのジャポニスムにもたらした影響については、改めて言うまでもないが、ケクランの人生にとっても大変大きな意味を持っていた。彼のコレクションは幅広い美術分野に跨がっており、日本美術の中でも様々な種類の作品を収集していたが、特に浮世絵にこだわり、浮世絵展を開催するまでになったのも、この最初の出会いのインパクトによるところが大きかったのかもしれない。このビングによる浮世絵展以来、パリにおける最大の浮世絵回顧展となるのが、ケクランの企画した1909〜1914年の連続浮世絵展であることも、あながち偶然ではないだろう。ポン・デザールで会ったポール・プジョーが浮世絵展を大変に褒めちぎったのである。(中略)彼がしきりにマラケ河岸に行くことを勧めてきたので、大して信用していなかったが、私はそこに行くことにした。(中略)それは青天の霹靂であった。二時間にわたり、私は輝かしい色彩のそれらの版画を前に感激した。芸者、母性あふれる光景、風景画、役者絵、どれも等しく感嘆した。展覧会で売られていたカタログと参考書を鞄に詰め込み、その日の夜はそれらをむさぼり読むことで更けていった。私は不思議にもすばらしいこの驚きを妻に話し、翌日、彼女も私とともに展覧会を訪れたが、彼女の興奮も私と同様のものだった。彼女の実家が(ルイ・)ゴンスと友人関係にあり、コレクションを見せてもらうべく、会う機会を設けてもらえた。朝の十時に着き、夜の七時までいたが、夕飯の後に、またそこに戻らねばならなかった。というのも、まだすべての浮世絵を見ていなかったからである。あまりの熱情に心動かされ、ゴンスは私たちを土産なしでは帰さなかった。二枚の浮世絵をくれたのである。(中略)私のコレクター人生はこの日にさかのぼる。こうして1890年から美術作品の収集を始めた(注9)ケクランは、すぐにジャポニザンサークルの仲間入りを果たし、多くのコレクターたちと交友関係を結ぶようになった。『回想』は、様々な人物と実際の交流を持っていたケクランの鋭い観察眼や、軽妙な語り口が存分に活かされた貴重な証言である。また、この『回想』には100名を越える人物が登場するが、ケクランはその大半の人物と面識があったと考えられ、彼の交友関係の広さに驚かされる。このように、当時フランスでは日本美術愛好の実にさまざまなサークルが生まれていた。これらのサークルで情報を交換したり、作品についての理解を深めたり、あるいはコレクション自慢をしたり、時には一つの作品(Souvenirs d'un vieil amateur d'art de l'Extrême-Orient, pp. 13−15.)― 484 ―
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