画がもてはやされた煎茶趣味のなかで盛茂燁も愛好された経緯とも関連するだろう(注3)。制作の側でも、近代の文人画家田崎草雲(1815〜98)は盛茂燁の作品に学んだという(注4)。国内で知られる代表作として「秋山観瀑図」(橋本大乙コレクション、〔表1−47〕)・「梅柳待臘図」(同、〔表1−48〕)がある。いずれも疎林や家屋、橋などに輪郭線を用いて描く一方、画面の多くを占める土坡や山容を潤いのある淡墨・淡彩で描き、その濃淡の変化によって雲煙たちこめる空間をあらわしている。〔表1〕の作品を通覧すると、画風には沈周(1427〜1509)・文徴明(1470〜1559)・謝時臣(1487〜1567以降)ら同郷の先達の作品を学習した様子がうかがえ、とくに作画期の重なる李士達(1540頃〜1621以降)から、題詩の扱いも含め多くを学んだようである(注5)。かつて滝精一は、盛茂燁の作品に「精工に失して気格高からざるの誹を免れず」と低い評価を下し、表現上の特質として「写実味」を指摘した(注6)。米澤嘉圃はこれを受け、「自然に即した写実的な態度」によって「新しい絵画の領域を開拓しようとした」と積極的評価に転じている(注7)。その後、ジェイムス・ケイヒルの先駆的な研究(注8)よって、日本の文人画に大きな影響を及ぼした明末蘇州派の一人という位置づけがなされた。ケイヒルはまた、明末の絵画を論じた著作で盛茂燁の絵画表現を高く評価し(注9)、さらにその内容を、中国と日本の詩的絵画を論じたTHE LYRIC JOURNEY Poetic Painting in China and Japan(注10)において発展させた。一方、台湾と中国では、ケイヒルによる成果を踏まえつつ、蘇州の画家に対する研究の一環として盛茂燁の考察が進められている(注11)。次項ではケイヒルのTHE LYRIC JOURNEYを参照しながら、盛茂燁の作品の美質がもっとも発揮された作品群として氏が高く評価する画冊の作品を中心に、その詩的表現について述べていく(ケイヒルの著作を参照する際、論旨を整理するため意訳・省略を試みているため、参照の頁を明記し、「 」による引用の形をとらないこととする)。2 絵画表現と題詩盛茂燁の画冊6件〔表1−4・10・63・68・69・78〕から4図を取り上げる(注12)。〔図1〕は、テラス状に整えられた高台の茅屋で灯のもと屋外を眺める人を描く。奥の方の入口では侍童が灯火を手に客を待つ様子である。眼下の水辺に竹林が茂り、連なる山々が煙霧のなかに浮かび上がる。山肌をあらわす、筆跡を抑えた淡墨の表情によって湿り気を帯びた山の息吹が伝わってくる。線描を建物の集まる右下方に限定― 492 ―
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