鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
504/625

し、大半の部分に潤い豊かな濃淡の墨を施し、各図様の形態を曖昧にして、宵闇のなかに消えゆこうとする湿潤な景色を描いている。ケイヒルは、盛茂燁が、このような表現により、現実の風雨を通して見える視覚的な体験を写しとっており、それは過去の巨匠から筆法の構造物として受け継がれた抽象的な図様でできたものではない、と述べる。また、視覚的な現象を喚起することは、明末の鑑賞者に直接に作用したはずだと述べ、印象派の絵が19世紀のフランス人に衝撃を与えたことに例えている(p.112)。なお左上の題詩は「千峰孤燭外 片雨一更中」(張籍の五言律詩「華州夜宴庾侍御宅」の第3・4句)である。〔図2〕は、荷を侍者に持たせ驢馬にのって岸辺の道を行く旅人を描いている。中央に建つ楼は、今しがた彼が発った場所であるのか、通りすがりに眺めたものか、定かでない。〔図1〕と同様、周囲から煙霧がたちこめ、その広がりのなかに旅の長さが思われる。右上の題詩は「埜色籠寒霧 山光歛暮煙」(出典不詳)である。〔図3〕は、右下隅に立つ策杖の人物が主題の中心となっている。左上方に向かってふり返り、描かれた山水空間を眺める、あるいは何かの音に耳をすます、という格好である。川の上流に架かる橋は、彼の来た道を示すのであろう。点在する家に人々が静かに座し続けるのに対し、彼の姿には、これまでの歩みと、足を止め首を回し、たたずむという一連の動作の軌跡が想像される。その胸中に、ある感興が呼び起されているのである。この絵を冒頭に置く画冊(現巻子装)は全5図中4図まで題詩がなく、最終図にのみ「水寒深見石 松脱静聞風」(許渾の五言律詩「泛溪」の第3・4句)を記す。ケイヒルは、このような題詩の配置について、画冊を詩的絵画として位置づけるという単純な目的によるもので、あるいは、題詩のない他の頁のために対句を選んだのかもしれない、と述べて、この絵を例に挙げる(pp. 123−124)。氏の解釈に従えば、画中の旅人は風の音を聞いていることとなる。〔図4〕に登場するのは農夫である。鍬を負い家路をたどる様子から夕暮の景と理解される。汀に建つ水榭では人が一人、江水に向かい、その向こうに舟が泊まっている。右方から別の一艘が帆に風を受け進んで来る。暗くおぼろな対岸に寺院が見え、尖塔がひときわ高く聳えている。題詩は「曲塘春盡雨 方響夜深船」(司空図の五言律詩「江行」の第3・4句)である。3 詩的表現前項で挙げた4図について、あらためて詩的表現に関わる観点から見ていく。― 493 ―

元のページ  ../index.html#504

このブックを見る