鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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巻の版画集『オリエントの景観』(1795−1808年)を出版して人気を得た(注14)。ダニエルの基礎研究は1980年代までになされ(注15)、ダニエル版画のイギリス建築への影響も明らかにされたが、国外での受容には及ばないでいる(注16)。『オリエントの景観』は最大で約57.5×78.0cmの用紙に、インドの歴史的建造物や風景、植民地建築がアクアティントで刷られ手彩色された(注17)。注目したいのはその第2集(1797−98年)に含まれた、南インドの古都マドゥラに残る17世紀のナヤク王の宮殿跡を描いた版画である。《宮殿の内観、マドゥラ》と題された15葉目の版画には、薄暗い宮殿跡の室内が短手側から描かれている〔図4〕。短手に多弁形アーチの柱間が3つ、長手に6つ見られ、それぞれ二層を形成し中央の広間を囲んでいる。かまぼこ天井を支える梁にはカスプが施され、中央の床面レベルは周囲より一段下がっている。筆者は工芸美術館の中庭ホールとよく似た建築要素をもつこの作品が、創作に関与したと考える。3 ファーガソン『インド及び東洋建築史』レヒネルがダニエルの版画を見出すには次の過程を経たと思われる。彼が写真と書物に頼って東洋研究をした際(注18)、既に示唆されているように(注19)、イギリスの建築史家ジェームズ・ファーガソンの著作『インド及び東洋建築史(以下、建築史)』(初版1876年)を参照したはずである(注20)。彼の訪英した1889年前後には、ショワジーやフレッチャーの書物はまだなく(注21)、東洋建築の全貌を把握するには、『建築史』しかなかった。同書は発刊後半世紀の間、東洋建築史のスタンダードだったと評される程の影響力があった(注22)。『建築史』初版には394点もの挿図が収められた。「第4部:ドラヴィタ様式」の「世俗建築」の項には、マドゥラの宮殿跡についての記述があり、これを補う挿図213が確認できる〔図5〕(注23)。この挿図は、ダニエルの版画《宮殿の内観、マドゥラ》に基づいて木版画化したものである。挿図213には、「ダニエルのヒンドスタンの光景より」とのキャプションが入るが、実際はダニエルの正確な写しではない(注24)。まず画面の縦横の比が異なる。ダニエルの版画は横長の画面だが、挿図は正方形に近い。画中の違いは宮殿内部長手の描き方に顕著である。画面手前に広がる長手側のベイは、ダニエル版画では6つだが、挿図213では4つしか認められない。そのためホールの長手が短縮されたような画面効果を生み出している。また、ダニエルの版画では室内の中央部分の床面レベルは周囲より下がって描かれているのに対して、挿図213では床面レベルの差ははっきり描き出されていない。これは挿図が元の版画を極端に縮小していることに帰因している― 40 ―

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