鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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薩立像が小さく表される。南壁は幅50センチ弱の入り口を設け、その両脇の壁に毘沙門天立像(西側)、短い裳を着ける下半身のみが残る人物が存在し(東側)、前者の足元には鹿、後者の足元には小坐仏と斑文様の馬の姿の一部が見える(注2)。壁画は、像の周囲を赤褐色に塗り、起稿線も一部の衣文線が墨線であるが、肉身は基本的に赤褐色で、肥痩がなく細い緊勁な線である。暈取りはほとんど用いられていない。描線、暈取りについては以下の2〜3号寺とカラドン作品にも共通して言えることである。立仏〔図2〕は、顔が縦長であるが、丸みを帯び、顎を二重にし、その柔らかみを強調する。鼻筋が通り鼻孔を表す鼻、切れ長の目、幅が狭く厚みのある唇も特徴的である。身体は肩に丸みがあり、全体に幅広のどっしりとした印象を与え、一見して塑像と大きく異なる様式になるものと思われるが、腰の括れや脚の伸びやかさにおいて塑像と通じる。衣は、東壁北側の一体が白である他は全て赤褐色である。上半身裸体に天衣を両腕にかける菩薩〔図3〕は、頸飾、腕釧、三面宝冠で飾られ、腰を後ろに傾ける他、身体と反対方向に顔を向けるなど自由な動きを示す。やはり腰が括れ、肩や腿の丸み、柔らかさが如来と近似するも全体にほっそりとする。顔は頬に膨らみを持たせ、目を細くし、瞼を厚くし、眼球の膨らみを表す。毘沙門天の顔の作りは如来と似るが、犬歯をみせる。以上のトプルクドン1号仏寺作品に関して、報告書では、塑像が典型的なガンダーラ風であり、5世紀末〜7世紀に制作されたものであると推測し、仏像頸部の葦藁のC14年代測定と年輪年代測定による各々526年±27年、618年〜656年という結果を紹介している。また、壁画はその豊満な特徴が唐中、後期の特徴を備えていると考え、塑像よりかなり遅く描かれたものとするも、壁画の描き直しの痕跡は見当たらないと述べる(注3)。確かに壁画と塑像の間では、身体的特徴に多くの異なる点が見出せる。しかし、上記の通り、類似する点も存在し、また相違点に関しては、壁画の菩薩と如来の間でも豊満さにおいて大きくかけ離れることが指摘される。仏寺全体が赤褐色を基調とし、統一性を持っており、壁画と塑像の間に年代差があるというよりは、複数の様式が併存して用いられたものと考えられる。ダンダン・ウィリク絵画〔図4〕は、像の身体の上下が短縮されたような矮小さを持ち、目を基点として顔を傾け、顔の要素が目を中心に構成されるという特色を持っており、これと比すと1号仏寺作品は、顔、身体の長さが際立ち、極端なデフォルメを用いないより実際の人体に近いものであると言える。描線はダンダン・ウィリクでは張りのある柔軟な線が多く見られるが、新発見のCD4寺壁画の線には、一般的な張りのある線と共に1号仏寺のそれに近い緊勁なものも見られる〔図5〕。肉身の起稿― 514 ―

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