鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
527/625

画には、初唐墓壁画に描かれるような僕頭をかぶった中国の文官風の人物も存在する〔図9〕。タマゴゥ仏寺作品の幅の広さを示す。最後のタマゴゥ・カラドン1号寺は、トプルクドン仏寺群より北方10キロメートルの砂漠中で発見されたが、壁画は地下水の浸食によって取り出すことが叶わなかったため、撹乱された地層の壁画断片以外は埋め戻されたという(注10)。ただし、この断片には、ホータンで初めて発見された千手観音像が含まれる(注11)。正面を向き、蓮華を入れる耳環、連珠の頸飾等によって装飾性に豊み、極めて丸い顔に中央に寄った目、鼻筋が通り、やや肉厚な鼻翼をもつ鼻、幅の狭い唇を配し、細い線に更に微妙な肥痩をつけて肉の柔らかみを見事に表す。こうした顔や肉身の表現は古ドモコの訶梨帝母像や毘盧舎那仏像のそれとよく似ており(注12)、両者の関係が緊密であることを窺わせる。ただし、古ドモコ作品が目鼻の周囲に暈取りを入れるのに対して、ここでは暈取りのないすっきりとした顔をしている。また千手観音の他に冠、連珠の頸飾をつける尊格不明な像の存在も報告されるが(注13)、丸みを持つも面長の顔、厚ぼったい瞼にトプルクドンの如来や菩薩との共通性が指摘される。以上がタマゴゥの作品である。ダンダン・ウィリクと類似する描法、図像が見られるが、古ドモコ作品との共通点がより目立った。トプルクドンの1〜3号までの絵画は描法に共通点が多く、同時期のものであると言え、カラドン壁画も共通点と共に、古ドモコという紐帯によってトプルクドン作品と結び付けられる。これらは豊満な肉体、千手観音や唐代風の俗人によって、単純に中国美術と比較すると、唐代頃の作品と考えることができる。比較材料として提示したダンダン・ウィリクや古ドモコ作品において熊谷宣夫氏は唐代絵画との共通性をみているが(注14)、6世紀の作になるものもそれらの中に存在するとの見方もある(注15)。タマゴゥ作品を含めた研究は未だ多く提出されていないが、安藤佳香氏は新出のダンダン・ウィリク作品(例:〔図5〕)と比較した場合、タマゴゥの製作年代はそれよりも大きく下るものではないと考えている(注16)。これに対して、百橋明穂氏は、ダンダン・ウィリクを濃厚な彩色、屈託のない線描を主とする6世紀頃、その後古ドモコの毘盧舎那仏、訶梨帝母像などの新たな傾向を持つ絵画が登場、そして8世紀頃に緊勁な線描を主体とし、彩色が簡素なタマゴゥ作品が生まれたという、北から南への砂漠化による住居地移転に伴う様式変遷を想定する(注17)。ホータン作品研究の課題の一つがこの地の6世紀作品がどのようなものであるかを見極めることにあることが分かるであろう。タマゴゥ作品全体としてみた場合、先述の通り、筆者もそこに見出せる最も新しい情報からそれらは唐代の製作にかかると考える。ただし、そこには多種の様式が混在― 516 ―

元のページ  ../index.html#527

このブックを見る