鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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していることは見逃せない。報告書で塑像と壁画の間で制作年代が異なると判断したように1号仏寺内においても塑像と壁画如来の間で身体の作りに大きな違いがあり、壁画内においても程度の差こそあれども如来と菩薩の間で同様のことが言える。即ち、古い様式を蓄える幅がタマゴゥにはあり、ダンダン・ウィリクと類似する千仏を描くことも或いは同様の文脈で説明できるのかもしれない。そして、このことはホータン地域の一つの特色である可能性もある。このように性格が曖昧にされているホータン作品の研究を一歩前進させるためには、相対的な比較対象が必要となるが、そのためにはやはり制作年代がある程度はっきりしている中国、とりわけ西域と接して位置する甘粛地域の6世紀の作品が重要視される。2、ホータン美術と甘粛地域作品の比較甘粛の6世紀を代表する作品としては、敦煌莫高窟の第285窟が挙げられる。この窟には西魏大統4、5年(538、539)の紀年銘がある。壁画、塑像共に保存状態が良好であるが、壁画はその様式や図像から西壁、北壁・東壁、南壁・天井の3グループに分けられ、その製作年代差について議論がなされてきた。西壁は一般に西域的と言われ、シヴァ、ヴィシュヌ、ガネーシャ、四天王といった先行する窟には見られないヒンドゥー教系の図像を描く〔図10〕。技法は莫高窟で従来から用いられているものを基本としつつも、起稿線の墨線に張りがあり、身体の動きは自然で柔らかいものとなっており、顔も縦長ではあるものの丸みを帯びる。膝の曲げ方一つをとっても各々異なり、後方を振り返る者がいるなど型にはまらない動きを見せる。技術が従来のものよりも飛躍的に進歩しており、他地域からの影響を窺わせる。一方、北壁と東壁の壁画は中国的(中原的)なものであるとされ〔図11〕、像はほっそりとした身体を特色とし、その服飾は北魏後半期に流行したものであり、莫高窟では本窟において初めて整うこととなる。また、如来の肉身等の起稿に赤褐色の肥痩のない線が用いられる。残る南壁と天井も中国伝統神や細身の像を描くなど中原的要素を強めるも、上記2グループの中間的な存在であると捉えられている。描線に着目すると、起稿線には墨線が用いられるも、肥痩に富む橙色の線のみによって形象を描き出し、柔軟な動きの表現に成功している箇所が多々見られる〔図12〕。この橙線は東壁、北壁の赤褐色の起稿線とは性格を異にする。このような異様式が併存する第285窟は莫高窟において特異な存在となっているが、何故このような窟が生まれるに至ったのかについて定説はない。― 517 ―

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