甘粛地域において第285窟と類似する壁画を探してみると、酒泉文殊山石窟の前山万仏洞中心柱北面に断片として残る菩薩像と永靖炳霊寺石窟野鶏溝(第192窟)である。前者の菩薩像〔図13〕は、柔らかみと伸びのある身体、縦長であるも丸みのある顔、そして張りのある線を特色とし、第285窟西壁像との共通点を持ち、両者は相近い時期の制作になるであろう。また炳霊寺野鶏溝は、第285窟のように西域的、中原的壁画が同壁面に併存している〔図14〕。描き重ねられた痕跡はなく、両様式の壁画は同時期のもので、炳霊寺の他の作例との比較によってこれらも第285窟同様に西魏時期のものと考えられる(注18)。第3龕にはやはり伸びのある身体の菩薩が存在する。描線には墨線と橙色の線が用いられるが、橙線があたかも起稿線のように目立つように配される箇所が多い。ただし、橙線は起稿線とするにはあまりに太く、込み入っている。炳霊寺では、先行する窟、例えば5世紀前半の西秦第169窟壁画において橙色の線を下描き線、墨線を起稿線とする(注19)。第169窟では、下描き線と位置をずらして起稿線が引かれるため、二つの線の違いが明確である。野鶏溝の例はどのように解釈すれば良いのだろうか。以上の莫高窟第285窟をはじめとした作例は、西魏時期にのみ見られる特色を備え、他地域からの大きな影響を考慮しないと生まれ得ないものであると思われる。これらと先のホータン美術を比較してみると、トプルクドン1号仏寺の如来や毘沙門天の顔の輪郭は第285窟西壁像と類似し、菩薩にみられた自由な動き、顔、肉身の柔らかみは第285窟西壁、文殊山、野鶏溝3龕と共通する。また、タマゴゥ作品全般や古ドモコ作品、ダンダン・ウィリクCD4寺壁画に見られた肥痩のない緊勁な赤褐色の線は、第285窟北壁、東壁の起稿線と似るものである一方で、西壁の張りのある線はダンダン・ウィリクの大半を占める作品のそれに近い。最も顕著な共通点は、第285窟に突如として表れたシヴァ神やガネーシャ等のヒンドゥー教系の図像がダンダン・ウィリク、古ドモコにおいても数例発見されていることであり、また四天王の一図像である毘沙門天はトプルクドン1号仏寺にも描かれていた。そして、異様式の併存自体も第285窟等のタマゴゥ作品に通じる性格である。このように6世紀の西魏時期の甘粛の特異な作例とホータン地域作品の間で影響関係を見出すことが可能であるが、両地域を繋ぐ存在としては6世紀当時に現青海一帯を支配下に置き、その勢力がホータン近くにまで及んでいた吐谷渾が考えられる(注20)。吐谷渾が仲介となって青海は西域と中国の往来の地として南北両朝に活用され、敦煌や炳霊寺の位置する秦州と吐谷渾との繋がりも文献記録から窺え、また北魏末から西魏初に吐谷渾は動きを活発化させるのである(注21)。― 518 ―
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