鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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しかし、共通点ばかりではなく、例えばシヴァなどの多臂像においてホータンでは4臂に限られるのに対して第285窟では6臂、8臂のものがあるといった明らかな違いもある。また第285窟の中原的要素を強める北・東壁において赤褐色の起稿線が用いられ、これがホータンと共通点することも不可解である。このことに関して第285窟の各壁画が単純に一地方の要素のみを取り入れて成立したものでないことを考慮しなくてはいけない。例えば西壁において新たな図像が見出されたとしても、その技法は基本的には従来のものを発展させたものであり(注22)、西壁と他壁面の画の共通点を見出す向きもある(注23)。また北・東壁の壁画が中原で6世紀前半期に流行した要素を強めると雖も、細部の懸裳などにはむしろ5世紀末の雲岡と近いことが指摘されている(注24)。更に天井壁画の中国伝統神像には南朝の影響までも存在する(注25)。そのため、第285窟の各壁画においては、一地域の影響のみを受けて制作されたと想定する或いは西域的、中原的であるといったように明確に分ける必要性はなく、様々な要素が融合して表出されており、東・北壁にも西域の影響があったと考えても問題ないのではないだろうか。ところで、赤褐色の起稿線と類似するも、異なる性格を持つと上述した第285窟の天井や南壁の橙線のみの表現についてであるが、橙線による表現の前例としては上記の炳霊寺第169窟の下描きの他、河南省鄧州市発見の画像磚(注26)が提示できる。この表現とホータンに見られ、第285窟東・北壁で採用された赤褐色の起稿線の用法の間で混乱をきたした結果生まれたものが、炳霊寺野鶏溝の橙色の下描線とも起稿線とも判断のつかない表現ではないだろうか。おわりに以上によって本稿は、6世紀西魏の甘粛地域の作例にホータン地域の影響を認めるのであるが、問題のホータン地域の6世紀作品の実態を浮き彫りにしたとは言い難い。ただし、前述の通りタマゴゥにおいて古い要素も蓄え、多種の様式が混在することをホータン美術の一つの特色とし、それが莫高窟第285窟等に及んだとした場合、ホータンの6世紀作品には甘粛地域との共通点で見出した各要素が存在したと言える。例えば、ダンダン・ウィリクの多くの作品に共通する張りのある線と、CD4寺や古ドモコ、タマゴゥの緊勁な線、そしてヒンドゥー教系の図像、古ドモコ、タマゴゥの自由な動きを見せる菩薩などである。同時代ホータン美術の多様性、6世紀に表れていた要素を念頭に置き、今後研究を継続することでホータン美術史において転機となる境目を見極めることも可能になるであろう(注27)。― 519 ―

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