00000(北山)を訪れる病弱な00『伊勢物語』の男と、都の北0研 究 者:出光美術館 学芸員 廣 海 伸 彦序言本稿の目的は2つある。1つは、異なる主題の物語絵画が図様表現を相互に越境させる現象について、その具体相を報告すること、もう1つは、そういう現象の要因を当時の文化的な脈絡に探索することだ。今回は、特に17世紀初めに絵画化された『源氏物語』と『伊勢物語』(以下、源氏絵、伊勢絵)を素材として、両者に推知される往還関係を話題にしたい。こうした問題設定は、次の理由による。まず、数多の物語絵画から源氏絵と伊勢絵を取り上げることは、現存作例に恵まれているという事情もあるが、むしろ国文学の成果を念頭に置く(注1)。2つの物語が、いずれも天皇の血を引き、知性と美貌をそなえた貴公子を軸に展開するのは周知のことだ。さらに個別の事例を挙げれば、『伊勢物語』初段と『源氏物語』若紫巻において、在原業平(825−880)と目される『伊勢物語』の主人公が春日の里へ狩りに訪れる一方、『源氏物語』の光源氏は瘧病を患い北山に療養する(注2)。都の南00(春日の里)に赴く壮健な00源氏との鮮明な対比である。2人は各地で、垣間見という共通の行為によって美しい女性を見初めるが、『伊勢物語』の男が姉妹に対して詠みかける「春日野の若紫のすり衣しのぶの乱れ限り知られず」の歌は、『源氏物語』の巻名を象徴的に含む(注3)。登場人物の設定に見る単純な類似と巧妙に企図された対比によって、両者の連関は印象づけられる。2つの物語に強い親近性を認めることは、もはや定論だろう。本稿の主旨とは離れるのでこれ以上の説明は省くが、多くの場面で重ねられた例証は、近接する学問領域としての美術史研究を無関心ではおかない。源氏絵と伊勢絵の議論に応用してみる意義はあるはずだ。そして、17世紀初めという時代設定は、絵画史研究の成果にもとづく。つまり、どちらの主題にも基準的な作例が存在することだ。当時の源氏絵を牽引した絵師として最初に指を屈するべきは、土佐光吉(1539−1613)だろう。慶長17年(1612)の「源氏物語手鑑」(和泉市久保惣記念美術館。以下、久保惣本)をはじめ、いくつかの重要な作例が伝わる(注4)。一方の伊勢絵には、慶長13年(1608)、本阿弥光悦(1558−1637)や角倉素庵(1571−1632)によって刊行された古活字版『伊勢物語』(以下、― 525 ― 16、17世紀の物語絵画における異主題間の図様往還について─源氏絵と伊勢絵を中心に─
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