鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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嵯峨本)の挿絵がある(注5)。2つは作期が近いことに加え、各主題の図様系統を整理し、その後の方向性を決定づけたところに類似する性格を持つ。以降の記述では、久保惣本と嵯峨本の比較を試みたい。1、物語を描くという行為その前提として、英文学者のヴォルフガング・イーザーなどが提唱した受容美学の議論は本稿での考察に有効と思われるので、その要諦を押さえておく(注6)。この理論では、受容者がテキストを読むという行為に作品の総体が追究される。つまり、テキストはテキストのままで作品00として生起せず、テキスト(からの働きかけ)と読者(による具体化)との対話的な相互作用の中で、テキストがイメージへと加工されて初めて作品00となると考える。したがって、ある物語の実態に迫ろうとする場合、テキストの分析だけでは足らず、その外にいる受容者(読者)の意向や役割への目配りが不可欠となる。こうした視点に立つならば、物語の絵画化は、特定のテキストを、それを受容する側の記憶や期待によって可視的なイメージへと造成する行為と措定することができよう。そして、受容者の想像力が共有されるとき、複数の物語絵画は本来的な主題の違いを乗り越えて、イメージの形象を通わせてゆく。近世以前の2つの例を示す。1つは、12世紀前半に描かれた現存最古の源氏絵、いわゆる徳川・五島本「源氏物語絵巻」竹河第1段(徳川美術館)と、12世紀半ば頃の制作とされる「寝覚物語絵巻」(大和文華館)第3段との比較である〔図1、2〕。空間を斜めに分割する順勝手の廊下、その中ほどでわずかに開け放たれた妻戸、庭先の樹木、室内の女性たち。佐野みどり氏が指摘するように、異なるテキストの絵画化は、一方で共通の図様構成によってなされる(注7)。もう1つは、源氏絵と伊勢絵の類比である。徳川・五島本「源氏物語絵巻」と、12世紀末から13世紀初め頃の作と考えられる「白描伊勢物語絵巻」(逸翁美術館ほか)は、複数の場面で建物の構造、人物の配置や挙措を通わせる〔図3、4〕。このことを指摘した池田忍氏は、両者が男女の恋愛を主題とするいわゆる「女絵」であるために、類似する図様構成が1つの型として共有されたと説く(注8)。こうした事例は、物語のイメージの枠組みを利用した作画のあり方を示唆している。本来的には固有の領域を持った物語世界は、読者の記憶や期待の近似によってその形象を類型化させるのだ。― 526 ―

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