2、図様の越境以上を踏まえ、話題を17世紀初めに移そう。まず、久保惣本から記す。周知の通り、山科言緒(1577−1620)の日記『言緒卿記』慶長17年7月30日の条は、当時の大垣藩主・石川忠総(1582−1651)の源氏絵色紙のために、中院通村(1588−1653)から詞書の執筆を依頼された言緒が、仕上がった3葉を通村に託したと述べる(注9)。この3段分(花散里・若菜下・橋姫)は、久保惣本で言緒が筆をとったとされる詞書に符号しており、この源氏絵が現存する久保惣本を示すことは疑いない。絵師や制作時期が判明するだけでも貴重な久保惣本は、絵の注文者や絵事の斡旋者までを特定できるところに重要性を増している。また、各図様について見ても、過去の源氏絵にはない場面抄出に意欲を見せた点に久保惣本の新味は示される。本来はその全てに検討を加えるべきだが、ここでは須磨第1段のみを扱う〔図5〕。『源氏物語』須磨巻は、光源氏寓居の物語である。尚侍として朱雀帝の後宮に仕えていた朧月夜との密会が発覚、弘徽殿女御の怒りを買った源氏。自ら政界を退き、摂津国・須磨の地に身を潜め、都での生活を追懐しながら、辛い日々を送るのだった。この巻の絵画化について、従来の研究はおよそ以下の類型を報告している(注10)。物語の叙述に沿って記す。① 源氏、暇乞いに左大臣邸を訪れ、夕霧を膝に載せて泣く。② 左大臣邸の女房のもとで1泊した源氏、勾欄に寄って桜を眺める。③ 流謫の源氏、須磨の秋の夜に1人琴を弾き謡う。④ 源氏、海の見える廊に出て、沖を行く舟や雁の列を眺める。⑤ 源氏、雪の日に琴を弾き、従者たちも歌と笛で続く。⑥ 春、都の桜を偲ぶ源氏のもとを頭中将が見舞う。⑦ 源氏、頭中将とともに、稲を喰う馬を珍しく眺める。⑧ 3月朔日、浜で御禊をする源氏。急に暴風雨となる。このうち、久保惣本の1図は④の場面を描く。本文の該当箇所は次の通り(注11)。前栽の花色\/咲き乱れ、おもしろき夕暮れに、海見やらるゝ廊に出で給て、たゝずみ給ふさまのゆゝしうきよらなる事、所からはましてこの世のものと見え給は― 527 ―
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