良著、1472年)、『弄花抄』(三条西実隆著、1504年頃)など、『源氏物語』にかかわる重要な注釈が集成、その上で自説が増補された。以下、『岷江入楚』から『伊勢物語』に連結する記述を抜粋する(注15)。まず、『細流抄』(三条西公条著、1510年頃)を踏まえた源氏準拠論は、次のごとく決定的だ。須磨浦に謫居の事は行平中納言におもひよそへたりまた、須磨へ到着した源氏が「渚に寄る波のかつ返るを見給て、「うらやましくも」とうち誦じたまへる」場面。業平の歌「いとゞしく過ぎゆくかたの恋しきにうら山しくもかへる浪かな」を想定した『河海抄』を追認し、『伊勢物語』への連想を次のように促す。伊勢物語のやう思ひやるへし 業平旅行の時詠此哥事あはれもたくひなき事なれはふりたりといへとも今源氏の吟し給へるは又殊勝なりといへり「いとゞしく」の和歌が『伊勢物語』に登場するのは、「むかし、おとこありけり。京にありわびて、あづまにいきけるに」で書き出す第7段。女を失った男の、東下りの発端というべき内容を持つ。その着想の源泉とされる業平と二条后・藤原高子(842−910)による身分違いの恋は、政敵の娘・朧月夜との密会が露見し、結果的に須磨へ寓居することになった源氏の境遇と何とよく似ることか(注16)。事実、『岷江入楚』はこう解す。好色の事は在中将の風をまなへり 則五条二条の后に准して薄雲女院二条の内侍のかみ〔朧月夜〕に密通の事をかけり貴人の許されぬ恋とその果ての流謫という筋の類似。そして、読者による解釈の共感が2つの物語絵画を結びつける。4、図様選択の力源ところで、物語絵画のイメージ形成に作用する受容者には、実際の筆をとった絵師よりも、物語の知識に長けた公家や貴族などを想定するのが適当な場合が多い。物語― 530 ―
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