注⑴この方面の豊富な研究のうち、わずかな文献を以下に列挙する。丸山キヨ子「源氏物語・伊勢物語・遊仙窟─わかむらさき北山・はし姫宇治の山荘・うひかうぶりの段と遊仙窟との関係」(『日本文学』第16号、東京女子大学、1961年、1−10頁)。片桐洋一「源氏物語における伊勢物語─その影響と方法についての覚え書」(『国文学』第33巻6号、至文堂、1968年、46−50頁)。大朝雄二「伊勢物語初段の「かいま見」と源氏物語」(『源氏物語続篇の研究』桜楓社、1991年、197−213頁)。結語最後に、こうした思索のモデルを、久保惣本のほかの場面に応用してみたい。例えば、久保惣本の若紫と嵯峨本第93段は、衾をかけた男性が伏して屋外に臨む様子、逆く0の字形に屈折する屋台構造などに類似が認められる〔図7、8〕。前者は、北山で少女を目にした源氏が明け方まで寝つくことができずにいる場面。須磨同様、この若紫図も久保惣本以前には例のない抄出箇所でありながら、光則の画帖(バーク・コレクション)など、それ以降の源氏絵に採用される図様である(注20)〔図9〕。一方、高貴な女性への焦がれる気持ちに「臥して思い、起きて思い」ながら過ごす男性をとらえた後者は、嵯峨本以前に穂久邇文庫本などが先例を示していた〔図10〕。2つの原典は、男性が恋心に悩む物語内容を近似させるわけだが、こうした関係が既成の伊勢絵にもとづく若紫図の創案をうながしたのではなかろうか。もちろん、こうした憶測の検証は今後の作業である。相互越境を担保する共感は、時代や読者の立場の違いによって揺らぐ。ただ、物語絵画にテキストの外にある解釈の世界が投影されるとすれば、その読解の結果が接近する地点にこうした現象の誘因は求められるはずである。⑵この事例は、前掲の文献の一部に加え、原岡文子『『源氏物語』に仕掛けられた謎─「若紫」からのメッセージ』(角川学芸出版、2008年)を参照。⑶以下、『伊勢物語』の引用は、堀内秀晃・秋山虔校注『新日本古典文学大系17 竹取物語 伊勢物語』(岩波書店、1997年)による。⑷作品の詳細は、和泉市久保惣記念美術館編『源氏物語手鑑研究』(和泉市久保惣記念美術館、⑸伊勢絵における嵯峨本の位置づけは、伊藤敏子『伊勢物語絵』(角川書店、1984年)などを参照。⑹Wolfgang Iser, Der Akt des Lesens: Theorie ästhetischer Wirkung(Wilhelm Fink Verlag, c1976). 訳書は、ヴォルフガング・イーザー(轡田収訳)『行為としての読書─美的作用の理論』(岩波書店、1982年)。また、物語と絵画をめぐる議論とその歴史は、加藤哲弘「イメージとテキスト─物語絵画と解釈の問題」(『西洋美術研究』第1号、1999年、141−154頁)に多くを学んだ。⑺佐野みどり「絵巻の表現─語法・イメージ・構図」(『風流 造形 物語─日本美術の構造と1992年)を参照。― 532 ―
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