鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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あるものの、大方当初の筆を残している。本図は、もともと室町時代末期に前述の松姫君(清音尼)が佐渡に持ち寄った、即ち、後藤家本と同時期(天正17年)に持ち込まれたという伝承を有する。後に常学院の所持していたものが、嘉永6年(1853)、佐渡相川水金町の遊郭楼主らに譲渡されたらしい(注11)。その後、水金町共有資料となり、昭和58年(1983)に相川郷土博物館へ寄贈されている(注12)。描写を見よう。[地面]やや濃いめの黄土色を塗り、坂にはこげ茶で線を引いて階段を表わす。[建物]描き方には特段の特徴は無いものの、他の多くの那智参詣曼荼羅で瓦葺や檜皮葺になっている建物が、本図では板葺のように描かれる部分が存在する(注13)。[樹木]針葉樹は、輪郭線をとったこげ茶の幹で、葉は墨の入った緑、外側の葉は暗い薄緑で表す。桜は、輪郭をとり、花弁部分に薄い白を使って上から白の点描と、その外側に朱の点描を施す。松は、茶色の幹に輪郭線を施し、葉は白の上に薄緑を塗る。[水]川はやや暗い群青を塗り、波線を白で表す。海は黒に近い青を薄く塗り、波線は墨の二重線とそこへ部分的に白を沿わせて表す。[岩・土坡]濁った薄緑色に波打った輪郭線や皴を施す。[雲]色は無地か青系統で、墨の輪郭の内側に沿うように白線を引く。[霞]薄い水色で、墨の輪郭線の内側に白線を沿わせる。[人物]顔貌は、ほおの張った輪郭を持ち、眉を二本線で、目を点描で表して、鼻を小鼻まで描くものが多い。手足の指を単線でなくしっかりと輪郭をとっているもの、つま先立ちをしているような体勢のものが目立つ。また、衣文線が大きく波打っているのも特徴の一つである。以上、述べてきた描写を他の参詣曼荼羅と比べてみると、従来指摘されている工房Ⅰの作品と同様な描写表現ということが分かる。特に、ほお骨が出て、つま先立ち気味で着衣の波打っている人物の表現〔図11〕や樹木と岩〔図12〕、水〔図13〕の描写をみれば、同一工房の作であることが分かるだろう。同工房と判断される那智参詣曼荼羅(闘鶏神社本、武久家本)と比較すると、相川郷土博本では、人物が増えていたり、位置関係や向きが変わっていたりと(琵琶法師の位置など)、違いも割合多く見られるが、闘鶏神社本と武久家本の間でもある程度存在する違いであるので、そこまでしっかりした縛りは無かったと理解しておきたい。ただ、振架瀬橋付近の川中にいる龍に乗った童子と橋の上の扇を持つ僧が対峙している場面は、縁起的図像と考えられ、那智参詣曼荼羅には工房Ⅰの作例に限らずほとんどの作例で描かれる重要場面だと思われるが、相川郷土博本では、この橋の場面に龍に乗る童子や僧は居らず、後方を向く人物が描かれる。本図と同様に振架瀬橋上に後方を向く人物が描かれたものと― 541 ―

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