鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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 賀茂別雷神社における神仏習合の展開に関する基礎的調査・研究研 究 者:東京文化財研究所 主任研究員  皿 井   舞京都市北区の神光院には、神仏分離・廃仏毀釈の際に移された、賀茂別雷神社(以下、上賀茂神社とする)ゆかりの仏像が安置されている(注1)。なかでも、本堂内陣の右脇壇に安置される十一面観音立像〔図1〕は、かつて上賀茂神社内に所在した神宮寺観音堂の本尊であった。その観音堂は、京都市左京区の乗願院に移築されて現存する。神社にゆかりの仏教遺物は、神仏分離・廃仏毀釈をうけて失われたり、散逸して現所在の不明であることが多い。だが本十一面観音像は、安置されていた堂宇も現存するという極めて稀有な事例である。いずれも上賀茂神社神宮寺が創建された当初のものではないが、神宮寺の歴史をたどる上できわめて貴重な遺品であることは間違いない。そこで本稿では、神光院・十一面観音立像および乗願院本堂(旧上賀茂神社神宮寺観音堂)の実査を通じて知り得た、基礎的な情報を整理して報告したいと思う。一、神光院十一面観音像の概要像高165.1センチメートル。等身大の一木造の像である(注2)。内刳りをまったくほどこさないため(注3)、きわめて重い。神光院が所蔵する什物帳によると、明治時代に神仏分離令が出された際、当時、神光院住職であった和田智満が本像を請い、上賀茂神社神宮寺から神光院へ移したという(注4)。法量、形状、品質・構造、保存状態は次のとおりである。⑴法量像 高165.1、 髪際高134.1頂─顎36.9、 面 長15.5面 幅14.8、 耳 張16.8面 奥20.3、 胸 奥  (右) 22.6、 (左・条帛含む) 23.3腹 奥21.5、 肘 張46.1裾 張38.0、 足先開  (外) 38.0、 (内) 9.2⑵形状垂髻。天冠台上の地髪部は平彫、後頭部はマバラ彫りとする。天冠台は紐二条の上― 548 ―

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