このエジプトの猫の像は9月初旬にフォルクヴァング美術館で他の記念贈答品とともに展示された(注8)。これらの記述から、ヴィートを通じてオストハウスのことを知ったブリュメルが接触を試みた、という経緯が確認できる。8月26日付の返答でフライヤーがブリュメルにオストハウスの滞在先を知らせると(注9)、その直後にオストハウスはブリュメルの店を訪れたようである。9月5日の書簡では冒頭でブリュメルがオストハウス来店時の自分の不在を詫びるとともに、具体的な商談の内容が記されている。─今朝は店を外しており申し訳ありませんでした。[…]メキシコの仮面とアレクサンドリアの競技者のテラコッタに500フランはとても安い値段です。ですが、あなたを顧客に獲得すべく、それらを一緒に送るつもりでおります。[…]─(注10)おそらくここで言及されているメキシコの仮面が、上述の10月の「原始民族美術」部門で展示されたものだろう。続く9月25日の書簡には、オストハウスと親交がありヴィートとオストハウスを引き合わせた人物でもある彫刻家のモワセィ・コーガンが店を訪ね、品物は発送されたか問合わせにきた、とある。ブリュメルはオストハウスに「購入された品物は全て2つの箱で9月13日に(…)発送されています」と記している。これに対しフォルクヴァング美術館のアシスタントは9月27日に、受領書を送付していなかったことを詫びつつ、「品物は全ていい状態で5日程前にこちらに届いています」と返答し、旅行中のオストハウスは10月初旬にハーゲンに戻るはずだ、と記している。商品の無事の到着に安堵を示す10月10日の手紙でブリュメルは、オストハウスのために「他にもたくさん新しいものを用意しております。ご希望でしたら一度ご覧頂けるようお送り致します」と書いている(注11)。以上の書簡から、1912年9月のブリュメル画廊での最初の購入が、翌月の「原始民族美術」部門新設の直接的な契機であることが確認される。その後もオストハウスがブリュメル画廊からコレクションを購入したことが、ロイド、シュタムの論文では直接言及されていない別の2通の書簡から分かる。11月19日の書簡でブリュメルは、「ちょうど今、あなたがご興味を持たれそうな大変美しい品物が数点ございます。こちらにおいでの際にお見せできればと思います」と記している(注12)。このとき実際にオストハウスがパリまで足を運んだかは不明だが、1913年6月30日付の購入決算書によれば、オストハウスは1912年9月に一連の商品を― 561 ―
元のページ ../index.html#572