12,540フランで購入後、さらに11月29日にも「木製のネグロの仮面2点」を2,000フランで、さらに1913年5月3日には「パタゴニアの小さなオブジェ3点」を20フランで購入している(注13)。また、1913年1月頃執筆されたコレクションの紹介文によれば、前述のメキシコの仮面に加えて、「見事な彫りの象牙海岸(西アフリカ)の木彫り像」が蒐集された、とある(注14)〔図2〕。2.さて、これらのアフリカおよび中南米のコレクションは、1912年10月の段階では「原始民族美術」の独立部門として展示されていたと考えられるが、このコレクションの拡充はその後、美術館展示により革新的な変容をもたらした。すなわちこれらの非西欧美術がモダン・アートと共に併置して展示されたのである。前出の1913年1月の紹介文は、オストハウスのアシスタントが地元新聞社に宛てて送った書簡に添えられたものだが、その送り状には次のように記されている。─シュナイダー様、美術館の新収蔵品についての手短な紹介を謹んでお送り致します。エキゾティックな彫像や舞踏用の仮面、それから網細工と、キュビスムの作家アーキペンコとル・フォーコニエを一緒に飾る展示は、この短い記事の中だけでなく、美術館の空間的な配置で実際に行われています。─(注15)このアーキペンコの作品はおそらく、10月の新収蔵品紹介で言及されている、「石で掘り出された女性の頭像」〔図3〕を指すと推察される(注16)。このような併置的展示のコンセプトは、『クンスト』誌1913年7月1日号に掲載されたフライヤーによる小論で、より詳しく説明されている。フライヤーはまず、オストハウスの収集家としての個性が美術館に体現されていることを強調する。大金にまかせて名品を買い漁るのではなく、同時代の芸術家の作品を、世間の認知が高まる前に蒐集し、同時にあらゆる国と時代の美術工芸品なども集め、しかも歴史的意義やナショナリティーといった観点ではなく、専ら作品としての「質」によって収集品を選び取るオストハウスのやり方こそ、近代美術館が果たすべき文化的行為であると力を込めて語っている。そして、フォルクヴァング美術館のもうひとつ注目に値する特徴として、「陳列の基本方針」を紹介している。― 562 ―
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