鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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は個々の時代や民族の様式における相違は、能力の大小ではなく異なる性質を持つ意思に拠るのであり、この意思が目指すものは必ずしも全ての時代において自然の再現だったわけではない、ということだ。このような芸術意思における相違のより深い理由は、環境や素材などの外的な偶然の現象ではなく、人間の精神的、心的性質、すなわち、人間が自らを取り囲む世界や超現世的なものと結ぶ関係にある。それゆえヴォリンガーは、芸術学を“人間心理学”、すなわち芸術の洞察と同様に魂の洞察にも貢献する学問と解する。─(注26)さらにフライヤーは、ヴォリンガーによる「ゴシック」の概念的拡張が、例えば古ゲルマンの装飾とプリミティヴ・アートにおける装飾の比較検討を可能にし、その内面的共鳴を読み取る場を開くことを指摘している。─本来のゴシックが登場する遥か昔から、北欧芸術にはゴシック的な形式意図を現す要素があった。“隠されたゴシック”はすでに古ゲルマンの装飾に表れている。これはあらゆる未開の装飾と同じく幾何学的性質のものだが、しかし強い心的不安がそれをあらゆる有機的な調和を超えた感動へと駆り立てている。つまり古ゲルマンの装飾にはすでにゴシックの人々の心的な状態が見られるのである。ゴシックの人々は、未開人と同様救済と抽象への切望を抱いているのだが、しかしここではその切望はとてつもない恍惚にも似た情熱によって表現されている。─(注27)ここまで来れば、フライヤーにとって同時代の表現主義絵画の抽象表現を部族美術や中世美術との精神的・内的関連性の観点から比較照応する理論的準備はすでに整っているかにみえる。しかし論評の最後でフライヤーは、時代固有の精神風土の分析から出発するヴォリンガーの理論は、建築、彫刻、絵画といった個別の作品をどこまで説明できるかは疑問であると述べ、次のような論点を提出している。─この理論は、人間についての全般的見解から演繹的にではなく、個々の作品の具体的な事実から出発して帰納的に作品や芸術の理解に接近しようとする理論によって補完されなければならないだろう。そうして初めて、この芸術学は近代芸術の作品、とりわけ新しい種類の現象にもそれなりの確実性を持って立ち向かうことが出来るだろう。─(注28)― 566 ―

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