鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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研 究 者:北海道立帯広美術館 学芸員 石 尾 乃里子はじめに藤田嗣治(1886〜1968年)は東京美術学校を卒業後、1913年に渡仏し、20年代エコール・ド・パリの寵児として活躍した。中南米旅行の後、第二次世界大戦中は日本で戦争画を多く手がけたが、戦後再びフランスに戻り、カトリックへの改宗を経て、同国を終の住処とした。その数奇な生涯とともに、渡仏初期の素朴な作風から、20年代の「すばらしき乳白色の地」、戦前戦中の模索期へとさまざまに作風をかえた。そうした画業の集大成にあたる戦後から晩年にかけての時期に、多数制作された宗教的、寓意的主題を取りあげた作品に焦点をあて、様式の形成過程と主題の展開について考察するのが本研究の目的である。調査にあたっては、藤田が生前所有していた数多くの本をひとつの手がかりとした。それらは画家の没後、故君代夫人の所有となり、2006年に東京国立近代美術館他で回顧展が開催されたのち、2007年に約900点が同館へ寄贈され、一般公開されるに至った。こうした藤田の旧蔵書のうち戦後に宗教的、寓意的主題を取りあげた作品と何らかの関連性がその書籍名より推測される図書資料80冊を調査した〔表1〕。その半数以上に、画家自身により入手年月日・場所が記入されており、そのほとんど全てが戦後再渡仏した1950年以降、パリや旅先で入手したものだった。他者からの献本も数冊含まれることから、必ずしも全て画家が自主的に入手したものとは限らないが、本文中に画家本人のものと推定される書き込みや紙片の挟み込みが残る本も見つかったことから、これらの旧蔵書を、当時の藤田が関心を寄せ、制作の上で参照したであろう主題や様式を探るよすがとした。旧蔵書に加え、藤田が1944年以降、知人の画家・伊原宇三郎へ宛てて書いた書簡を調査する機会を得た。伊原家にのこされた藤田からの多数の書簡が昨年北海道立近代美術館へ寄託されたことから、今回の調査が実現した。内容は今後数年間で整理、可能な範囲で公表されてゆく予定で、まだ公開の段階に至っていないが、これらのうちにも制作に深く関わる内容がたくさん含まれていることがわかってきた。そのほかの旧蔵資料を含め、未公開を含む多数の資料から読み取れる情報を互いに照合し、作品との相関関係を探っていった。本稿では調査のなかで浮かびあがってきた〈「平和の聖母礼拝堂」への影響源〉〈主題にみる「回帰」の志向〉という2つの視点から、藤田嗣治による戦後作品の様式と主題に関する考察を進めてゆきたい。― 48 ―⑤藤田嗣治・戦後作品の様式と主題に関する研究

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