の発表は、植物研究の新たな視座を得る上で非常に有益であった。「制作者」の観点から論じられた中世末期の植物装飾研究からは、美術史研究者が扱う資料が全く異なる文脈で如何に言及され得るかを具体的に知ることが出来た。研究者間の交流を促す数々の試みも報告しておくべきだろう。参加者に提供された宿泊施設では、朝食で同席した研究者間で話が弾むこととなる。シンポジウム開催場所であるアンジェ大学までの道中も然り。かなり余裕をもって設定された休憩時間もまた、聴衆として参加していた研究者をも交えながら様々な情報交換や議論を喚起した要因であろう。そして一日の締めくくりに用意されていた様々なイベント。1日目には植物をテーマにした一人芝居が、そして2日目には植物を用いた創作活動を行っているサンドリーヌ・ド・ボーマン自身による作品紹介の後(注4)、アンジェ市内の格式高いレストランでの会食に誘われた。こうして30名近くの研究発表者とシンポジウム関係者の交流が、多種多様なかたちで深まることとなった。上記のようなシンポジウム運営方法の結果、本報告者はフランス文学作品における植物の象徴性に関する近年の研究動向や、写本・タペストリーに描かれた植物の同定をおこなった植物学者に未公開の調査結果を頂くなど、今後の植物研究に有益な知見や情報を多方面から頂いた。また、ベルギー・イタリア・ポーランド・カナダからシンポジウムに参加した研究者からは、各国の研究・教育事情を伺うことが出来た。財政難にあえぐイタリアにおいて、活発な学術活動を維持するためにとられている様々な手段や方法、そして日本と同様にフランス語履修者が激減するポーランドの大学で、多言語に翻訳されている村上春樹の作品の比較研究に勤しむ学生がいることなどは、興味深い数々の話題の片鱗である。勿論、今回のシンポジウムにも幾つか問題点は残されている。まず「シンポジウム参加者の専門領域を事前に知らされていなかったことで、適切な方法で研究発表をすることができなかった」という不満の声があがっていたことを記しておく必要があるだろう。確かに各発表者の所属や発表要旨をあらかじめ把握してシンポジウムに臨むことで聴衆の設定がしやすくなる上、一層充実した質疑応答も可能となったはずである。他方、問題はシンポジウム参加者側の姿勢にも指摘出来る。専門を同じくする者との論議にふけるのみならず、他分野の研究発表に全く関心を示さない者や、シンポジウムの主題から余りに離れた質問、そして専門分野における植物とその解釈の列挙に終始していた発表などは、学際シンポジウムの意義が参加者全員に共有されていなかった証左であろう。有益な連鎖をもたらす学際研究の実現は、研究者の意欲以上にその能力に依るとこ― 580 ―
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