鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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Ⅰ.「平和の聖母礼拝堂」への影響源1.ロマネスク建築、彫刻今回調査した旧蔵書を内容別にみると、ロマネスク時代の教会建築および彫刻を取りあげた本が多く、藤田がこの分野に強い関心をもっていたことがうかがわれる。分厚い石壁や小さな開口部、簡素で土着的なロマネスク様式は、彼の絵画作品においてよりは、これまでにも指摘されているように、晩年の1966年ランスに建立した「平和の聖母礼拝堂」の建築に直接的な示唆を与えたと考えるのが自然であろう(注1)。2.ブルターニュ地方のカルヴェール旧蔵書の一冊Les Calvaires Bretons(注2)への書き込みから、藤田は戦後再渡仏して半年あまりの1950年8月にブルターニュを訪れていることが確認された。シルヴィ・ビュイッソン氏のまとめたカタログには、1950年ブルターニュ地方に取材した風景画8点が掲載されている(注3)。藤田が上述の旧蔵書を入手したフィニステール県サン=ジャン=トロリモンにあるトロノエンには、15世紀に建てられた礼拝堂と大きなカルヴェールがある(注4)。本書にはトロノエンのほかゲエノ、プルゴンヴァン、ギミリオーなど各地にあるカルヴェールの写真が多数掲載されているが、そのうちの1点、プルゴンヴァンのカルヴェールに刻まれたマギの礼拝の図像にみられる幼子イエスは、「平和の聖母礼拝堂」前庭のカルヴェールを彷彿とさせる。礼拝堂の建設に着工する直前の1966年1月、藤田は建築家モーリス・クロジエに宛てて、これから礼拝堂の前に建てるカルヴェールは十字架上の受難の姿ではなく、衣服を着た幼子イエスとして作ることを提案し、「原始的で素朴で荘重なブルターニュのカルヴェールのように彫ることが容易な石を選んでください」と記した(注5)。この言葉からも、「平和の聖母礼拝堂」におけるカルヴェールに関し、藤田はブルターニュのカルヴェール群から示唆を得ていたことが推察される。3.ロマネスク、ルネサンスの壁画ロマネスク建築や彫刻とならび藤田が熱心に目を向けていた対象として、壁画をあげることができる。旧蔵書の一冊、Fresques romanes des églises de France(注6)は1951年4月にパリで入手したもので、フランス中西部に点在するロマネスク壁画を豊富な図版とともに取りあげた大型本だが、複数の図版に、後年になってその壁画を「見た」という書き込みが添えられている。これらの書き込みと他の旧蔵資料を照合してゆくと、藤田が実際に訪れた場所の一部が次の通り明らかになってくる。― 49 ―

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