鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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発表者とフロア、フロア同士で極めて自由に議論が交わされた。また22日に行った仏教美術見学会では、鶴林寺、一乗寺など兵庫県を代表する寺を巡り、各寺の建築、仏像などを見学したが、現在、両寺程に古い建築及び造像を残す寺院は中国にも台湾にも稀であり、実作品を前にして研究者同士で有意義な議論が交わされたものとなった。続いて②の多彩な発表内容によって本検討会が構成されていたことについてである。本検討会は「シルクロード、敦煌に関する国際検討会」と題しており、ここから分かる通り地域或いは時代、専門分野に細かい枠組みは設けていない。それは、先述の通り日本で開催することを第一義に置いたためである。その結果、仏教美術史、保存科学、敦煌文献研究、マニ教美術史、仏教美術史及び考古学の研究史、文化財制度研究など実に多彩な分野の内容が発表されたわけであるが、それらはいずれもシルクロード或は文化遺産、歴史というキーワードを媒体に繋がっており、互いに注意を喚起し合うものであった。その一例を挙げると、鄭炳林氏、魏迎春氏の「晩唐五代敦煌仏教教団僧尼違戒蓄財研究」は出家者による戒に反した私財の蓄えがかつて行われていた事実を史料によって整理したものであるが、これは絵画及び文献を蔵していた莫高窟第一七窟の位置付けとの関連において美術史家の関心を呼んだ。また、竹浪遠「唐代の馬の造形について─シルクロードの文化交流から─」は馬の作例を収集整理し、その造形の変遷を追ったものであったが、文献史学者から馬の鬣によって家畜であるか野生であるか見分けることができるという文献記録が残っており、そのことを考慮に入れるとシルクロード関連の造形化された馬の実態がより具体化されるのではないかと意見が出た。古川摂一「「マニ降誕図」における仏伝図像の変容─トルファン・敦煌から元代福建へ─」は今日存続していない宗教であるマニ教の絵画作品が近年日本で発見されたことの報告であり、また斉藤龍一「学術用語としての影塑の語源を巡って」はこれまで見過ごされてきた影塑の語源に着目したもので、いずれもとりわけ敦煌を専門とする学者の関心をひいた。他に杜暁帆「絲綢綢之路与世界遺産─願景与困境」は、シルクロード上の文物を世界遺産として登録する過程で問題点を国連職員の立場から報告したものであるが、これに対して石窟の現場に身を置く研究者側から意見が提出され、議論が白熱した。またこのように多彩な内容による発表が行われたため、一般聴衆として参加した研究者の分野も美術史、考古学、歴史学、言語学と多岐に亘るものであった。最後に③の幅広い年齢層の研究者による発表が行われたことについてである。今回の発表者の年齢層を統計化してみると、70代:1人、60代:2人、50代:3人、40代:― 590 ―

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