2.「《燃え木を吹く少年》をめぐって─エル・グレコと同時代ヴェネツィア絵画─」 越 川 倫 明(東京藝術大学)3.「エル・グレコとヴァザーリ─初期男性裸体素描の再検討を中心に─」 松 井 美智子(東北学院大学)4.「エル・グレコのパラゴーネ」 松 原 典 子(上智大学)5.「エル・グレコ、歴史意識、マニエラ」 岡 田 裕 成(大阪大学)午後5時30分・討論及び総括 司会進行:川 瀬 佑 介(国立西洋美術館)、大 髙 保二郎 通 訳:久 米 順 子(東京外国語大学)わが国で初のエル・グレコ展が1986年、国立西洋美術館で開催されてからすでに4半世紀がたち、この間にエル・グレコ、というよりもギリシア人画家ドメニコス・テオトコープロスとしての研究が急速に深化してきており、従来のイタリアやスペイン、総じて西ヨーロッパからの視点は確かに重要であるとはいえ、それのみでこの偉大な、独創的な画家について、その真実の姿を語り得なくなってきているというのが現状であるだろう。そうした新たなエル・グレコ像構築の先導者と呼ぶべきフェルナンド・マリーアス教授をゲストに迎え、日本側研究者7名を交えての研究報告および討論が活発に行われた。クレタ島に生まれたエル・グレコは25歳の頃、イタリアに渡って約10年間活動した後、1576年、35歳の時にスペインに渡り、後半生の38年間をトレードに過ごして、宗教画家として大成した。その芸術は、「遍歴の画家」と呼ばれるように、ポスト・ビザンティン美術が名残るクレタ島、後期ルネサンスの継承とマニエリスム全盛期のイタリア、そしてプロト・バロック期のトレードなどを土壌として、異なる地域・文化・民族が融合しつつ形成されたのであり、その意味においては、まさしくコスモポリタン的な芸術家であった。エル・グレコは、単に宗教画家に止まらない。マニエリスムの追随にも終わらなかった。卓越した肖像を描き、祭壇衝立や彫刻を自らデザインして制作し、建築論に通暁し、バロック様式に先駆けて激動的な画面を手がけ、ついに晩年には近・現代絵画― 594 ―
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