鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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像。4 .ヴァザーリ、ウィトルウィウスへの註釈に基づく「理性と人文主義」の画家像。最後に、エル・グレコ研究とその画家像はどこに向かおうとするかが問題提起された。マドリード・アウトノマ大学教授、王立歴史アカデミー会員フェルナンド・マリーアス教授による基調講演は、「エル・グレコ神話を問う:画家の資料と著述を解読しながら」と題され、極めて意欲的な内容のものであった。1980年、マリーアスはマドリードの国立図書館においてダニエーレ・バルバロの編集になるウィトルウィウスの著作『建築について(通称、“建築十書”)』の一冊を見出したが、しかし当時、この発見がエル・グレコ研究において多大な成果をもたらすものになるとは思われなかったという。それら印刷されたページの余白には一人の手で、主として、しかも当然とはいえ、建築の諸問題に関しておびただしい数のノート(注釈)が書き込まれていた。しかしながら、これらの書き込み(1万1千語を数える)の著者がまぎれもなく画家のドメニコ・テオトコープリ、通称“エル・グレコ”であることが突き止められ、画家像について画期的な再検討をもたらすところとなった。こうして、1980年以降、我々にはさしてスペイン的ではない、またそれほど神秘主義者でも深遠なカトリック信者でもない、画家エル・グレコの思考、人間、また芸術についての再検討が急速に深まっていったのである。かつての旧い画家像は1908年の、マヌエル・B・コシーオによる最初の解釈以来我々に好んで提供されてきたものであって、それは今日では、「資料なき解釈」と呼ぶべきものと批判された。しかもマリーアスによれば、この探究の歴史は、まだ閉じられてはいない、という。その後の新たな資料発掘も紹介しながらの基調講演は、同教授の言葉を借りれば、「歴史は単に史料としてのみ存在するばかりか、歴史は空虚な実践ではなく、物語るのと同様に自己−脱構築的〔ジャック・デリダの用語〕でさえあることが受容可能な、環境(文脈)─個人的かつ社会的にも─においての実践である」ことを意識しつつなされ、深い感銘と教訓を聴衆に授けるものとなった。研究報告1.「エル・グレコとビザンティン美術」は、ビザンティン美術史家益田によるもので、近年、画家の祖国ギリシアにおいてにわかに高まってきたエル・グレコ研究を背景に、彼の作品を通して現れるビザンティン的な要素を、その主題とイコノグラフィー、また画面構成などから作例を挙げながら具体的に指摘した。また、エル・グレコは終生、一貫してその本名、ドメニコス・テオトコープロスで作品に署名したことで知られるが、そのうちの特殊なタイプを取り上げながら、その意味や解釈― 596 ―

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