鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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・ 新大仏寺の修理報告書など資料を東京大学資料編纂所、東京文化財研究所で調査・奈良国立博物館、大阪大学、東京文化財研究所で彫刻の専門家と意見交換ハーヴァード大学付属美術館所蔵の「阿弥陀仏手」は新大仏寺の本尊の手であった査この研究成果は、2014年刊行のArtibus Asiae誌上に論文として発表される。⑵三重県新大仏寺(伊賀別所)の旧本尊についての研究・新大仏寺の実地調査・ 旧本尊の脇侍「菩薩像」の耳部(旧松永耳庵コレクション、東京都個人蔵)の調可能性が指摘されている。それを踏まえての研究である。この研究成果は2014年のハーヴァード大学付属美術館の開館に合わせての講演、出版物で発表される。⑶ 『江戸の芸術家』シンポジウム報告序文のための研究江戸時代の絵師は、社会的スティタスをどのような場で反映されていたか、という問題を考えるために、僧綱位の任命の制度や歴史、近世の重要な絵画空間(御所、江戸城、禅寺の方丈〈特に天井の雲龍図など〉)、画伝書や画譜、絵本、名所図絵、番付などの出版物、そして落款印章の展開について、東京大学資料編纂所、東京大学文学部図書館、東京大学文学部美術史学研究室、東京文化財研究所で調査を行った。この研究成果は2014年刊行のシンポジウム報告書『江戸の芸術家』(ナショナル・ギャラリー)の序文として発表される。⑷尾形光琳筆「波濤図屏風」に関する研究尾形光琳筆「波濤図屏風」(メトロポリタン美術館)は、落款印章の検討から1705年頃に江戸の大名家のために制作されたと考えられている。この作品が玉澗筆「波岸図」(焼失)と関連し、玉澗筆「波岸図」はもともと「銭壔観潮図」の画題であったことを論証するため、「波岸図」の日本において受容史、雪村と元信の模本、狩野派の流書手鑑における模本など網羅的に調べ、光琳の江戸滞在中の古画研究や環境・背景についての調査を行った。「波濤図屏風」のような必ずしも成功しなかった作品の分析により武士階級が好む様な宋元画、漢画系の作品の学習を通して、光琳がお抱え絵師的な絵師になろうとした試みを明らかにしようとする研究である。狩野安信筆「流書手鑑」(大阪、個人蔵)の作品調査をし、東京大学史料編纂所、東京大学文学部― 599 ―

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