鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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10.奈良・大和文華館女神坐像〔図12〕7.広島・御調八幡宮女神坐像〔図9〕上衣は、内衣と大袖の衣を着け、U字状の襟をした背子を重ね、下衣には裙をはく。背子は背面地付きまで続き背中全体を覆っている。面相部のえくぼか皺ともみえる表現は、年増の女性を表しているようでもある。対偶の男女二神に造り加えられた女神像とみられ、制作は10世紀初頭とされる。8.滋賀・小津神社宇迦乃御魂命坐像〔図10〕着衣の形式は、上衣が二枚の大袖の衣を右衽に重ね、その上に腕の部分で括りをつくり、首元が大きくU字に開いた衣を着る。下衣は裙をはき、腹前で腰帯を結ぶ。制作は10世紀後半頃とされ、頭頂に八葉蓮弁を戴くのは真言密教系の不動明王像にみられることからその関係が窺われる。また、両腕に見られる括りとU字状の襟は、吉祥天像にみられる着衣形式であることが注目される。9.京都・広隆寺女神坐像〔図11〕上衣は内衣を前合わせに着け、その上に大袖の衣を重ねたものとみられるが欠失しているため不明である。大袖の上にU字の襟で腕に括りのある衣を重ねている。作風からその制作は10世紀後半頃と推定される。上衣は大袖の衣を左衽に着け、その上に袖口がラッパ状に開き、正面中央に腕に括りのある衣を重ねる。下衣は裙をはき、腰を帯で縛り、結び目を表す。本像はアメリカ・クリーブランド美術館の女神像と左右対称の形をとり、宇佐八幡宮伝来と伝えられる。量感のある体躯表現から10世紀から11世紀の制作とみられる。以上の作例から9世紀代〜10世紀初の女神像の着衣形式をまとめると、基本的に上衣は内側から内衣、大袖の衣、背子、下衣は裙である。背子の形状や天衣の有無など各像に違いがみられ、特に東寺像のU字状の帯は他の像とは異なっている(1〜7)。一方で明らかに10世紀以降と考えられる女神像の着衣形式は、上衣が内衣、大袖の衣、腕に括りのあるラッパ状に開いた衣、下衣は裙をはき、腰部分に帯の結び目が表される(8〜10)。さて、〔表1〕で注目されるのが、10世紀以降のほとんどの像にみられるようになる腕に括りがあり袖口が開いた衣や、帯の結び目の表現である。つまり明らかな10世― 60 ―

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