研 究 者:一般財団法人そごう美術館 主任学芸員 森 谷 美 保はじめに本研究は、近代陶芸の巨匠富本憲吉(1886−1963)が遺した写真約1400枚(以下、遺品写真と総称する)を調査し、時代ごとに整理、分類したものである。遺品写真のうち一部は、過去の展覧会図録(注1)などで紹介されたものもあるが、大半は未公開の資料である。戦後完成させた「色絵金銀彩」の陶芸作品により、近代陶芸の巨匠と位置づけられる富本憲吉だが、近年には、陶芸家へと至る過程や、富本家のモダンな暮らし(注2)、また日本各地の窯場での量産を目的とした制作(注3)など、陶芸の大家としての活躍だけではない、大正から昭和戦前期にかけての多彩な活動が注目されている。遺品写真の大半は、富本のこうした動向や日常生活を伝えるものであり、今後の富本憲吉研究にとって、欠かせない興味深い資料といえる。そこで本稿では、遺品写真の概要を報告するとともに、それらの中から未発表のものを抜粋して紹介し、その意義について考察してみたい。1 遺品写真の概要と調査方法について最初に、約1400点に及ぶ遺品写真の概要と、年代や内容を判明させるに至った調査方法について記しておく。写真は全て、富本の没後、東京のご遺族のもとに遺されていたものである(注4)。かつて筆者は、平成12年(2000)の「モダンデザインの先駆者 富本憲吉展」(そごう美術館)を開催した際に、ご遺族から提供された遺品写真の一部を図録のなかで紹介した。その後平成18年(2006)、生誕120年を記念した展覧会(注5)に関わったとき、生前に富本が作成したアルバム3冊と、個別写真を含めた合計約800枚の写真を拝見する機会を得た。それらには以前筆者が発表した遺品写真も含まれており、その後写真は「生誕120年 富本憲吉展」の主催者であった朝日新聞社が接写しデジタル画像が作成された。さらに、平成23年(2011)には、上記とは別に、ネガフィルムを含む約400枚の新たな写真が発見された。そこで今回の調査研究費により、これら約400枚の遺品写真と、富本憲吉記念館(注6)に長年保管されていた留学時代のアルバム(2冊)を接― 70 ―⑦富本憲吉論再考─未公開写真を中心として─
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