地の窯で盛んに作られた「陶製金銅童子立像」である(注26)。〔写真14〕は北出窯で絵付けする富本の様子を写した一枚。これとは別アングルの写真が、「富本憲吉第2回近作陶器展」(昭和11年)の目録に掲載されている。この他にも、北出窯での制作写真は約50枚が存在しており、昭和戦前期の九谷焼研究にとり極めて貴重な資料といえる。また、アルバム外の写真のなかには、江戸時代後期の吉田屋作品(色絵万年青図平鉢、石川県立美術館蔵)や、古染付を写した〔写真15〕などがある。これは石川県立美術館に所蔵されている「祥瑞草花文輪花中皿(17世紀、明時代)」と考えられる(注27)。この他にも〔写真15〕と同じ場所で撮影された古九谷、伊万里、古染付などの写真が多数存在するため、これらも北出窯または九谷周辺で写した可能性が高い。富本は「模様から模様を造らず」を信条に、古陶磁とは一線を画すと公言した作家であった。にもかかわらず、こうした写真を撮影し、保管したということは、今後の富本研究の新たな課題として、興味深いテーマといえるだろう。2−4 作品など最後に、富本の作品(陶芸と絵画)を写した写真について記しておきたい。〔表1〕にも記したとおり、作品写真では祖師谷時代のものが多く、先に述べたように、個展目録用の写真を富本自身が撮影することもあったようだ。ここでは現存が未確認の陶芸作品2点のみを紹介する。〔写真16〕は羊歯模様を入れた色絵と思われる作品。北出窯での作陶後に開催した「富本憲吉氏第弐回近作陶器展覧会」(昭和11年12月、大阪日本橋松坂屋)の目録に、本作と同様に九角に縁を切った型物の皿が2点掲載されている。明らかに北出窯での作例であり、皿の見込みに羊歯模様を大きく絵画的に表現した珍しい品である。〔写真17〕は昭和10年代の富本作品に多い陶筥。内側の四弁花や側面の模様は、他の富本の陶筥にもよくあるものだが、蓋上に描かれた花を生けた柳模様の花瓶というのは、あまり作例がない。富本作品には贋作が多いが、今後本作が発見された際には、本写真は真贋の基準になるであろう。おわりに以上のように、本研究により調査した遺品写真には、富本憲吉の知られざる留学時代をはじめ、大正期の安堵での生活や交友関係、九谷での作陶活動など、新出の資料が数多く含まれていた。― 76 ―
元のページ ../index.html#87