鹿島美術研究 年報第30号別冊(2013)
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留学者のなかで、富本が最適であったようだ。⒂ 「富本憲吉書簡柳八重宛 大正12年7月27日」『柳敬助集』碌山美術館、昭和58年、84頁。⒃ 前掲「私の履歴書」199頁。「同宿にはエンジニアで電気学者の鳥潟右一氏、早稲田の建築家の創始者佐藤功一氏、日本で初めて自動車らしい自転車の製造を手掛けた人で蔵前高等工業の教授をした根岸政一氏というような人がいた」という。⒄ 富本憲吉「椅子の話(上)」『美術新報』第11巻第11号、大正元年9月、16頁。⒅ 富本憲吉「椅子の話(下)」『美術新報』第11巻第12号、大正元年10月、18頁。⒆ 富本憲吉「工房にて一」『美術』第1巻第2号、大正6年1月、89頁。⒇ 本椅子は富本家では「インドの椅子」と呼ばれていたが、インド製かどうかは不明。その後、祖師谷でも使用され、現存する。 坂井犀水「二つの展覧会招待日」『美術旬報』大正7年6月29日。掲載時の作品キャプションには「富本憲吉氏夫妻陶器展覧会出品 青磁大花生」とある。 『南薫造宛富本憲吉書簡』奈良県立美術館、平成11年、79頁。 前掲『富本憲吉と西村伊作の文化生活』に詳しい。 海藤隆吉「祖師ケ谷の家」前掲『富本憲吉のデザイン空間』、6頁。 富本憲吉『製陶餘録』文化出版局、昭和50年、151−153頁。本書は昭和15年、昭森社発行の同名書籍の復刊本である。なお、本書には富本がカメラを購入した正確な時期は記されていないが、遺品写真に含まれる雑誌掲載写真の年代や、当時の富本の動向などを推察して、購入時期を昭和10年頃とした。 九谷焼美術館副館長、中矢信一氏のご教示による。中矢氏には当時の北出窯や九谷焼のことなど、多くのご教示をいただいた。 本作については、石川県立美術館のデジタルミュージアムで確認した。― 78 ―

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