鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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るだけでなく、それらの前後関係が不明確であるにもかかわらず同時に知覚されるという性質を持っているのである。以上のことを踏まえながら、具体的な作品分析に入ろう。さしあたっての出発点として《夢》と名づけられた二枚の作品から始めたい。一枚は、最初のパピエ・コレ作品としてよく知られている《籐椅子のある静物》(1912年、パリ・ピカソ美術館)に数年先行するコラージュ的な作例としても取り上げられることも多い、ピカソの1908年の《夢》〔図1〕である。このドローイングの厚紙の中央に貼り付けられたラベルには、一艘の小舟と一人の人物が描かれている。さらにラベルの左下の部分に注目すると、横たわり眠る女性の左手の一部がその上に重なり合うように描かれており、さらにその重複部分にだけハッチングによる陰影の描写が施されている。厚紙とそこに貼られたラベルという、色も質感も異なるこれらの区画をまたがるようにして形象が重ねられたこの事例をパピエ・コレの先駆とみなすのであれば、同時にそれはオーヴァーレイ効果の先駆としても位置づけることができるだろう。というのも、ピカソあるいはブラックの実験のなかでオーヴァーレイ効果が顕著に見られるのは、浅い奥行きの断片的な空間が折り重なる分析期の作品よりも、むしろパピエ・コレが本格化する綜合期の作品においてであるからだ。例えば1912年の《シュズのグラスのある瓶》〔図2〕のテーブルの盤面をなす青い楕円形の切り抜きの左上部分では、新聞紙が実際には青い楕円形の切り抜きと重なり合うことなくそれに接するようなかたちで切り抜かれているにもかかわらず、これら二つの紙片を陰影が横断することで、まるで半透明の新聞紙がテーブルと重なり合っているように見える。もう一枚の《夢》は、フランティシェク・クプカによる1909年頃の作品である〔図3〕。画面下部の二つの横たわる黒ずんだ人体から、まるで幽体離脱するかのように現出する透き通った二人の人物像は、クプカ自身とその妻ウジェニーが互いに浸透し合うアンドロギュヌス的な存在であるが(注6)、ここではモティーフの解釈よりも透明な形象の表現という点に注目したい。クプカの透明性への関心は、ソルボンヌでの光学や心理学などの講義の受講に始まり、すでに1906-07年には《水(浴女)》(パリ国立近代美術館)において水面の複雑な光の屈折効果の研究へと具体的に結実している。さらに、《アモルファ、二色のフーガ》(1912年、プラハ国立美術館)や《ニュートンの円盤》(1912年、フィラデルフィア美術館)およびこれらの習作群にも、透明な形象の重なり合いの表現をより明確なかたちで見ることができる。さて、オーヴァーレイ効果の萌芽が二つの《夢》と共に現れているという事実は、― 90 ―*

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