鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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それがキュビスムの最も重要な達成のひとつである視点の空間的な移動による複数化という公式に、もうひとつ別のまなざしのレイヤー、すなわち夢という肉眼では眼差すことのできない虚ろな000視点が重ね合わせられていたことを示唆している。夢を見る目は、空間的に移動することなく現実と切り離された別の光景を眼差す。このような虚ろな視点は、むろん偶然誕生したのではなく、当時の視覚をめぐる新しい技術の普及に伴って周到に準備されたものであった。ケペッシュは先の透明性の定義の直後に、そこに見られる「新しい視覚の質」を準備した要因のひとつとしてX線写真を挙げる(注7)。このようなX線写真や連続写真といった20世紀末に登場した新しい視覚装置とモダンアートとの関連性については、L. D. ヘンダーソンの研究がよく知られている(注8)。事実ヘンダーソンは、クプカの《夢》をX線の影響を受けた最初期の作品に位置づけており(注9)、また連続写真への関心もピュトー・グループで共有されていたことが知られている。例えばクプカの《騎手たち》(1902-03年、パリ国立近代美術館)はその直接的な影響を明白に示しているし、マルセル・デュシャンの有名な《階段を下りる裸婦、No. 2》(1912年、フィラデルフィア美術館)もまたその一枚である。ピュトー・グループと連続写真との具体的な繋索を論じたマルジット・ローウェルは、エティエンヌ=ジュール・マレーによる連続写真の特徴を「単一の人体が空間的かつ時間的に移動する、独立してはいるが重なり合いもしているシルエットの複合的なイメージを提示する」(注10)と描写する〔図4〕。ここで注意すべきは、マレーのクロノフォトグラフィは、エドワード・マイブリッジやアルベール・ロンドの連続写真と同様にいずれも裸眼では視ることのできない瞬間的な運動の記録でありながら、そこには決定的な差異が含まれている点である(注11)。マイブリッジやロンドの写真はときに対象の運動に寄り添いながらレンズが移動し、フレームで区切られた運動の諸段階がシークエンスとして提示される一方で、マレーのそれは固定されたレンズでひとつのフレームのなかに多重に露光をするという方法で撮影される。このイメージの差は、そのまま多くのキュビストたちがひとつの画面に複数の視点を導入したことに対し、クプカが常に「固定されたひとつのレンズ」(注12)を用いて描いているということと対応している。しかし、だとすればキュビスムによる一点透視図法への異議申し立てに対して、クプカが提示しているのは時宜を得ない保守的な視点ということになるのだろうか。結論を急がずに、再びキュビスムの断片化された浅い奥行きの空間へと立ち戻って― 91 ―*

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