みよう。ポスト・キュビスムの画家たちは、断片化された空間を処理するにあたって透明な対象を好んで取り上げている。例えばフアン・グリスは1910年の《サイフォンと瓶》〔図5〕のように透明な対象を再現的に描写することから出発し、1911-12年にかけて斜線によって断片化された瓶やグラスが重なり合う様子を執拗なまでに描き出しているし、あるいはピュリスムにおいてこの瓶という透明な対象に与えられた特権的な地位も注目に値するだろう。むろんその地位はキュビスムの静物画偏重の延長線上にあるとはいえ、ベーシックなボルドーワインの瓶がほぼ全てのピュリスムの静物画に描かれているという事態は、キュビスムの静物の取り扱いとは異なる特殊な関心を明らかにしている(注13 )。実際、アメデ・オザンファンは著書『現代的絵画』において、ピュリスムの主題は鑑賞者の注意をことさらに惹くことのない類型的な「規オブジェ・スタンダール格品」であるべきだと主張するが(注14)、まさにボルドーの瓶はその基準に合致した理想的な対象であった。一方でグリスによる1915年の《開かれた窓の前の静物、ラヴィニャン広場》〔図9〕は、また異なる効果を示している。その前年の1914年頃からグリスの画面にはコラージュされた面の上に部分的に透明に重なり合うオーヴァーレイ効果が顕著に見られるようになるのだが(注15)、ここでは瓶を含む静物と窓からの景色が比較的再現的に描かれているものの、これらの対象とは無関係に区切られた面によって覆われ、その部分がまるでネガ/ポジを反転させたかのような独特の効果が生じている。いずれにせよ、彼らの透明性への関心が、視点を複数化させるのではなく固定された視点からの複数の異なる眺めを重スーパーインポーズね焼きするようなかたちで表明されているという点において、そこに描かれている空間もまたキュビスムのそれとは微妙な差異を孕んでいる。このように複数の異なる眺めを重ね合わせるという試みは、同時期の写真の領域において、より明確なかたちで確認できるだろう。1917年の《瓶》〔図6〕において、中央の瓶が壁に投げかける影は二重化されて重なり合っており、このような透明な対象とその影の重なり合いの表現は、その後もより図式化されたかたちで継続的にオザンファンの画面に登場している〔図7〕。瓶の表面とその奥にある別の瓶、そしてそれぞれが壁に投げかける影が次第に簡略化されるにしたがって、透明な対象は徐々に殆ど同じ平面へと圧縮されてゆく。このように、もはや現実の透明な対象の再現的な描写からは離れたところにオーヴァーレイ効果が生じるのである。なお、透明性への関心という点では、オザンファンのこの時期の多くのドローイングがグラシン紙というそれ自体半透明な支持体に描かれていることも示唆的である〔図8〕。― 92 ―
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