**1919年に「透明というアイデアにぶつかった」(注16)モホイ=ナジ・ラースローは、オーヴァーレイ効果を多用した自らの実践を「透明絵画」と呼んでいる。直接的にはガラス建築のスケッチから出発したこの絵画は、「いくつかの異なった形の半透明のスクリーンで、その一つを他の後に配置」することで「まるで色のついた光がスクリーンに投影され、他の色がそれに重なるかのように」描かれており〔図10〕、それと並行して制作されたフォトグラムにおいても同様の効果が現れている〔図11〕。このような透明性の探究を通じて獲得されたモホイ=ナジの視点は果たしてどのようなものであったのか、次の言葉がそれを如実に物語っている。 電車に乗りながら窓の外を見る。後ろに自動車が走っている。その自動車の窓も透き通っている。その窓越しに店を見る。すると、その店にも透き通って見える窓がある。これらすべてのことが、ほんの一瞬で捉えられる。なぜなら、ガラスは透き通っており、すべてが見ている方向で起こっているからである(注17)ここで強調されるべきは、やはり観察者が移動することなくある一つの視点から全てが一瞬で把握されるという点であり、それは冒頭に引いたケペッシュの立場と殆ど一致している。モホイ=ナジもまた、このような「新しい視覚」の生みの親として、連続写真やX線、電磁波、レンズフィルター、望遠鏡、透明シート、ガラス建築といった現代的な装置や素材に度々言及する(注18)。その中でもとりわけ頻出する透明シートは、スイスの化学者J. E. ブランデンベルガーが1908年に発明したセロファンであろうか。瞬く間にヨーロッパやアメリカに広まったこの透明な(diaphane)セルロース(cellulose)という二語を組み合わせたこの発明は、コラージュにも新しい素材を提供したはずである。例えばモホイ=ナジと同時期にフォトグラムの実験を繰り返していたマン・レイによる1916-17年のコラージュ『回転扉』(オリジナルは遺失)にも同様の透明シートが用いられている〔図12〕。「夢」から出発して一旦は光学的な関心へと向かったオーヴァーレイ効果は、再び「夢」の方へと差し戻される。1928年頃からジョアン・ミロの画面に登場しはじめたオーヴァーレイ効果には、光学的な混色の法則とは異なる色彩が選択されている〔図13〕。シュルレアリスム運動に接近しながらもキュビスム的な空間処理の問題を常に念頭に置いていたミロは、通常であれば背後に空間を形成しない文字を導入すること― 93 ―
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