鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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1.2013年度助成研 究 者:和歌山県立博物館 主査学芸員  大河内 智 之はじめに空海によって真言密教の道場として開かれた高野山については、仏教学・歴史学・美術史学などの研究の蓄積があり(注1)、密教・山岳信仰・浄土信仰・弘法大師信仰などが重層的に織りなして形成された、日本の歴史・文化史上に重要な位置を占める宗教的聖地として周知されている。一方で、高野山上における宗教活動を支えた高野山麓の地域的広がりについては、荘園史や寺院経済史の観点では検討されてきたものの、一帯に残された文化財を包括的に捉えて高野山上の宗教文化と比較する研究は、ほとんど進展していない。筆者は先に、こうした課題意識の下、歴史的経緯の中で高野山上と人的・文化的な関わりを有した高野山麓の諸地域を高野山文化圏と捉え、当該地域の美術資料を高野山との関わりの中で検討することを試みた(注2)。本稿でも同様の観点から、高野山の西北麓に位置する薬師寺と大福寺に伝来する合計10軀の仏像群を紹介し、それらの存在と近世史料から従来知られていなかった廃絶寺院である感応山(寺)を復元するとともに、当該地が、従来明らかでなかった弘法大師御手印縁起に示される高野山の聖域の西端であった可能性について検討したい。1.かつらぎ町御所・薬師寺の仏像和歌山県伊都郡かつらぎ町御所に所在する薬師寺は、高野山真言宗に属する密教寺院で、桁行三間、梁間三間の本堂(江戸時代)が地域住民によって維持・管理されている。本堂内陣に設けられた南北朝時代の建立と想定される大型の朱漆塗厨子(和歌山県指定文化財)内に、平安~鎌倉時代の仏像5軀(薬師如来坐像・菩薩形坐像・地蔵菩薩立像・持国天立像・多聞天立像)が安置されている。以下、順に確認する。薬師寺本尊の薬師如来坐像〔図1〕(和歌山県指定文化財)は、像高36.5cm、髪際高30.7cmの小像で、螺髪を粒状に表し、衲衣を偏袒右肩にまとって、裙を着けて結跏― 1 ―①高野山麓に所在する仏像・神像に関する総合的研究─薬師寺・大福寺の仏像群と感応山─Ⅰ.「美術に関する調査研究の助成」研究報告

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