鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
112/620

子が描写される。ちなみに、これとは別に薩埵太子譚を記す『金光明経』捨身品には、「即ち高山に上り、身を地に投ず」(注9)とあり、薩埵太子は飢えた虎に己が身を与えるために、高樹ではなく高山から飛び降りたと記され、玉虫厨子「捨身飼虎図」はその記述に従っている。さらに注目すべき点として、樹枝に掛かる童子の上衣がある。『大般涅槃経』および「施身聞偈図」には一致する内容が見当たらないものの、『金光明経』に「其の虎の所に至り、衣服を脱ぎ去りて竹上に置き」(注10)と記される通り、薩埵太子は虎に身を与える前に衣服を脱いで樹に掛けたのである。確かに「捨身飼虎図」にも、画面左上には上半身裸となった薩埵太子が上衣を樹枝に掛けている場面が確認できる。これらを整理すると、蕭白の「雪山童子図」の描写において、童子が樹枝に立つという演出は雪山童子譚に由来するが、彼が上衣を脱いで樹枝に掛ける行為は薩埵太子譚に因る、と考えるのが穏当だろう。そこで、童子と向き合っている羅刹は当然雪山童子譚の要素と考えるべきだが、それに加えて薩埵太子譚との繋がりをも考慮すべきではないだろうか。薩埵太子が菩提心のため、飢えた虎に自分の身を与えるのが物語の中核であるが、蕭白の描く羅刹が腰に付けているのは、まさに虎皮なのである。確かに鬼や羅刹が猛獣の皮を身に着けている描写は決して珍しくないが、蕭白が参照したと思われる金比羅宮本系統の『釈迦の本地』図様では、羅刹が腰に付けているのは虎皮ではないため、それは意図的に絵師によって選択されたものと考えるべきだろう。加えて、羅刹の異様な目の描写もそのまま虎を暗示していると思われる。先行する雪山童子図の羅刹や一般的な鬼の黒目は円形で表すことが通例だが、本図で蕭白の描く羅刹のそれ〔図8〕はむしろ、「群仙図屏風」(文化庁)の虎〔図9〕とよく一致する。言うまでもなく、他絵師による虎図をみても、やはりその黒目は半月形、あるいは三日月形が一般的である(注11)。「雪山童子図」の羅刹が腰に巻く虎皮と、虎を思わせる黒目の描写とを併せ考えると、蕭白がそこに、薩埵太子がその身を与えた虎自身のイメージをも重ね合わせたことは間違いないだろう。蕭白は自身の作品を構想する際、本来あまり関係のない二つの題材に共通点を見出し、それをもとに両者を繋げることがあると、筆者は以前指摘したことがある(注12)。「雪山童子図」の場合、雪山童子譚と薩埵太子譚とは同じ釈迦の前世の物語という点で関連が薄いとはいえないものの、ここでも蕭白が図像上の共通点を見出すことにより、両者を違和感なく繋げたことに変わりはない。童子が配される画面右側では「樹」という題材が二つの物語の結び目となり、一方では雪山童子が登った樹として、他方では薩埵太子が上衣を掛けた樹としてそれぞれ機能する。これと同時に、画面左― 102 ―

元のページ  ../index.html#112

このブックを見る