鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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側では「虎」がその結び目となることで、ひとつは羅刹が身に着ける虎皮として、また、もうひとつが薩埵太子に向き合う虎そのものとして、蕭白は各々その役割を付与している。やはり、蕭白が得意とするこうした「仕掛け」は、本図にも明瞭に確認できるのだ。ここであえて付言すると、『釈迦の本地』諸本における雪山童子と羅刹の登場場面は、樹枝に上衣を掛けた上半身裸の童子が崖上に立つという点で、本来薩埵太子譚に由来する図様がすでに先行して用いられてはいたようだ。ただし、これはダブル・イメージというよりも、いわば雪山童子譚と薩埵太子譚の混同に過ぎない点は重要である。両図の図像としての約束事を踏まえ、咀嚼、消化した上で、これら本生譚を一図のなかに見事に融合した蕭白の「雪山童子図」は、特筆に値しよう。四、「雪山童子図」と庚申信仰との関係「雪山童子図」の見所のひとつである、童子の衣服と羅刹の肌にみられる赤と青の対照的な色使いは、これまでも度々指摘がなされている。事実、筆者が確認できた先行作例ではいずれも羅刹の肌が赤く、蕭白はその色を意図的に変更したことが窺える。しかし、これは単に視覚的効果を高めるための工夫のみならず、蕭白の生きた江戸期に庶民の間で普及、浸透していた庚申信仰の図像に因んだ演出ではないか、と考えることができそうである。江戸時代における庚申信仰は、道教・仏教・修験道などの思想が複雑に絡み合ったもので、道教の三尸説がその中心である。すなわち、庚申の日の夜に人が就寝すると、体内に棲む三尸虫が天に昇って天帝にその人の悪行を密告する。これによって、その人が病気にかかる、さらに寿命が縮んでしまうと考えられていたため、人々はその夜に三尸虫が身体から出ないように徹夜して、青面金剛などを礼拝したのである。病気を取り除く霊力をもつと信じられた青面金剛の姿を描いた木版画や絵画は、江戸時代を通じて膨大な数量が制作された。その図像に関しては不明な点が多いものの(注13)、ここでとりわけ興味深いのは、青面金剛あるいはその眷属である薬叉が、上半身裸の人物の髪を掴んで下げるさまがよく描かれることである〔図10、図11〕。この人物に言及する文献史料は管見の限り見当たらないが、窪徳忠氏が指摘されたある伝承によると、これは人間を病気にさせる「ショケラ」と呼ばれるものであるという(注14)。この伝承に拠りつつ、ショケラとは三尸虫のことで、青面金剛あるいは薬叉がそれを掴んで押さえている、という解釈も提示された。さらに、ショケラのモデルを、マハカーラー(大黒天)が上半身裸の姿で表されたシヴァを髪で掴むという図様― 103 ―

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