研 究 者:三菱一号館美術館 学芸員 杉 山 菜穂子Ⅰ.研究動機とシェレの再評価ジュール・シェレ(1836−1932)とアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック(1864−1901)、19世紀末のポスター芸術の興隆を考察する上で不可欠な二人の画家は、しばしば同時に言及されることはあっても、本格的に比較検討される機会は数える程であった。その一因として、今日ロートレックの名はポスター芸術の改革者としてあまりに広く知られ、本来なら彼に先んじてこの分野を開拓したシェレの功績が、フランス国内ですらそれほど浸透していないと言う認知の「格差」が挙げられる。しかし、2010年にパリの装飾美術館他で開催された大規模なシェレの回顧展 (注1)で、彼が装飾芸術家として果たした役割と同時に、そのポスター制作の全貌がまとめられた。この成果によって、19世紀末のポスター芸術の興隆と革新に貢献したシェレとロートレックという二人の芸術家について、初めて正当に評価する基盤が整ったと言っても過言ではない。これら近年の研究状況を踏まえて、特に世紀末ポスターに多大な影響を与えたジャポニスムを切り口に比較検討をすべく資料調査を実施した(注2)。ロートレックのポスターの平坦な色面と太い輪郭線等の特徴がジャポニスムと結びつけて語られことが多い(注3)のに対して、シェレのポスターについてはこれまでジャポニスムの視点から論じられることは皆無に等しく、むしろロートレックのそうした「斬新」な表現の対極にある例として引き合いに出されるのみであった。しかし本来、活動時期や制作数等様々な点でポスター芸術の先達と言えるシェレのジャポニスムの検証無しには、ロートレックのジャポニスムの革新性の真の意味での評価は不可能である。今日ではほぼ散逸したシェレ旧蔵品を特定することは困難であるが、本調査によって、その一端を知る貴重な資料であるシェレ没後の売立目録の中に日本美術品が含まれていたことが判明しただけでなく、パトロンのコレクション等、シェレとジャポニスムを結びつける多くの事例を見出すことが出来たのは大きな成果であった(注4)。本論は、主にパリの装飾美術館の協力により実施した調査結果をまとめシェレのジャポニスムについて検証するとともに、改めてロートレックのポスターにおけるジャポニスムとの比較を試みるものである。― 110 ―⑪トゥールーズ=ロートレックとシェレのジャポニスム
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