研 究 者:新渡戸文化短期大学 生活学科 教授 岩 切 信一郎我が国は、優れた版画芸術の国として知られている。それは伝統(伝承)木版画の、版元・絵師・彫師・摺師のコラボレーション(協業)による版画である。しかし、版元や絵師(画工)についてはその名前が知られてはいても、彫師・摺師の氏名が明記されることは稀で、明記されたとしてもあだ名や通称名の表記が多いのである。大正期以降は、こうした職人たちの名簿も作成され、資料としての師匠系譜(技術継承)等の記録は残されている(注1)が、肝心な、どの職人がどの仕事(制作)に携わっていたか、については、全く記載した記録がない。私は、残された名簿を参考に、これに仕事(制作)記録を加えることで近代の彫・摺師たちの活動内容を探ろうとしている。少ない記載とは言え、制作品の中には几帳面に彫・摺師名を示す例もあることから、機会ある毎に積極的にその記録を採取して、彫師摺師の名前とその仕事についての一覧データ(仮称「木版彫摺師銘々仕事一覧」)を作成してきた(財団注)。このデータをもとに、そこから浮かび上がる彼らの仕事を見出したい。本稿は、明治期の春陽堂での木版仕事に従事した職人たちに焦点を絞って述べることにした。なお、各彫師、摺師の仕事の詳細は本文との煩わしさを避けるために上記データから該当者部分を抜き出して注記に示した。近代における、出版と木版の結びつきで考えると、明治全期、大正・昭和の初期頃まで、本の装幀(表紙・見返し・扉等)や口絵の版画、あるいは絵画複製の図版版画に木版が盛んに用いられた。では具体的に、こうした職人たちの名が記載される場合、どのように扱われていたのか、例えば、関西での出版物で、希少な例があるので挙げておこう。これは大阪の「樋口隆文館新版広告」〔図1〕で、同館出版の『春日後日 宮嶋大仇討』(大正4年12月10日再版発行)の長谷川小信画(注2)の表紙絵裏面を利用した挿入広告で、来る大正5年(1916)の新年向け「新版広告」である。その奉納額をあしらった右隅に「彫師 堀江 山口」(彫師で堀江に住む「山口」の意)次に左へ、「摺師 堀江 摺力」、「摺師 船場 摺善」とあって、印刷所、さらに「製本」担当― 122 ―《はじめに》《木版職人の状況例》⑫日本近代の木版彫師、摺師にかんする基礎調査研究─明治期春陽堂の木版職人たち─
元のページ ../index.html#132