鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 123 ―《春陽堂と木版出版》者まで示してある実に稀な例である。住んでいる土地の名(地名)と通称名というのが習いなのであった。通称名が通常で、それ以上のことは不明なのである。こうした例がある一方で、職人技術を高く評価し、姓名記載をおこなった事業もあった。それが、明治22年(1889)10月創刊の『國華』(國華社)の挿入美術品図版であった。雑誌カラー掲載図版の試みとして木版を使ったもので、一図ごとに絵画複製制作に携わった彫・摺師の姓名が記載されている。だが、こうした職人への高い評価は全体からすれば氷山の一角にも当たらないものであった。さらに遅れること一年ではあるが、春陽堂の出版活動も評価すべきで、『新作十二番』、『文学世界』、『美術世界』の刊行には、奥付に、出版人と同列で携わった職人の姓名記載がある。すでにこの明治20年代の出版界では、明らかに本文は活字活版が普通であったのに対して、あくまでも木版に拘り続けたのが春陽堂であった。それが『新作十二番』シリーズ(注3)、『美術世界』シリーズ(注4)等に反映しているのであった。春陽堂では、その後も単行本には必ずと言って良いほど、木版多色摺の鮮やかな口絵を巻頭に挿入して明治後期の口絵文化の担い手となった。春陽堂は岐阜県出身の和田篤太郎により、明治11年(1878)の創業である。江戸小説の活字への翻刻および新作小説の発行から始まり、文芸書出版で現代まで営業をおこなっている。明治期の代表的文芸雑誌『新小説』の発行で知られ、明治中期から後期にかけて躍進し、斯界の代表的出版社となった。硯友社の人々との関係が深く、明治23年(1890)からの『新作十二番』8冊、『文学世界』12冊、『美術世界』25冊の刊行は、活字活版主導の時代の中で敢えて木版整版による意義ある出版をおこなった。技術に優れた彫師・摺師を雇用して木版での当代一の出版活動となった。これらの刊行時の明治23年から同27年(1894)の期間にあって、彫師に五島徳次郎(注5)、安井臺助、大倉半兵衛(注6)。摺師に吉田市松、酒井留吉(注7)、田村鉄之助(注8)、小松角太郎(注9)の姓名を奥付に見い出すことができる。鏑木清方は「明治の挿絵」(『日本文学全集・明治時代上編』昭和6年5月5日発行、新潮社)の中で、「この頃春陽堂の抱へて居た彫師には、五島、大倉の名手があり、摺師は名工吉田市松が腕を揮ったもので、この市松といふ男は職人肌で、チャキチャキの江戸つこであつたが、大の省亭崇拝で、省亭のものとなると夢中になつて骨を折つた。」と記述し、評価している。「省亭」とあるのは画家・渡辺省亭のことで、その省亭が編集し自らも毎号に筆を執ったのが『美術世界』編集刊行であった。その広告

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