鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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注⑴ 以下のものが刊行されているが、非売品もある。記載内容は師弟関係の系譜が主であり、姓名も通称だけで伝わっている例もある。生没年に至っては不明不記載の場合も多い。伝聞からのものもあるし、遺族からの聴取で記載した形跡を残すものもある。 ・『同業者故人人名簿』東京木版彫工同志会、大正12年7月27日発行。 ・ 生田可久「版木師系図」「摺師系図」(『版画禮讃』に所載、稀書複製会、大正14年3月18日発 ・ 長谷鐐平編「関東彫師・摺師名録及び諸派系図 (付)東京平板削職系譜」、鈴木重三『日本版画便覧』の第5部に所載。本書は講談社『日本版画美術全集』の別巻として講談社から昭和37年3月10日発行。 ・ 長谷鐐平編『伝統木版技芸者名録』京都版画院刊、昭和41年10月8日発行。非買品(浮世絵― 125 ―《春陽堂の明治末年の彫・摺師たち》財団注「木版彫摺師銘々仕事一覧」(岩切信一郎編)全38頁は参考資料として本報告書と併わせて提出されている。行)への不信感が募って、明治26年末から27年(1894)にかけての時期、春陽堂から(ライバル出版社であった)博文館へ拠点を移し、博文館の『文芸倶楽部』創刊時から添付の口絵制作の仕事を行った。そもそも春陽堂が単行本に口絵を入れることに着目して進めていたのだが、その主要な仕事を持って自らの弟子たちと共にライバル社へ移ったという当時の一大事件であった。明治後期にあっても春陽堂は木版文化を維持し、明治44年(1911)には『現代画集』(注12)を出版して、木版での絵画を掲載して、しかもここにも職人たちの姓名を記している。先にあげたメンバーの次世代の職人たちも活動していたことがわかる。彫師の五島徳次郎と、その門下の渡邊永太郎、原口保太郎。最も勢力があったのが大倉系で、大倉九節、そして大倉半兵衛とその門下の山崎三吉、古澤赤陽、須賀利三郎、門下は示していないが古澤若吉、長谷川信、大倉きみ。摺師では西村熊吉(注13)、堀井金五郎(注14)、松村菊次郎といった名前。そして、その仕事ぶりを『現代画集』に見ることが出来る。以上、ひとつのまとまった彫・摺師たちの活動として春陽堂の木版仕事が浮かび上がってくるのであった。困難ながら、今後とも、地道に彼らの活動記録を求めて記録していく所存である。そうすることでしか職人たちの活動を知ることはできないからである。

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