鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
136/620

・ 『第一回浮世絵木版画作品展─伝統の技を受け継ぐ人達─』浮世絵木版画彫摺技術保存協会、平成6年2月発行。(巻末に「出品者一覧表」と東京・京都の彫師、摺師の師弟系図掲載)尚、第二回も開催され、同じタイトルでの冊子を平成9年2月に発行。彫・摺師の師弟系図も所載。 ・ 『京都木版画工芸組合規約 附組合員名簿』京都木版画工芸組合、平成11年4月発行。⑵ 長谷川小信(明治14年─昭和38年)は、三代小信にあたる。明治27年に小信を襲名。樋口源次郎経営の樋口隆文館はこの広告からも判るように講談速記本の出版が主流である。岩切信一郎「貸本出版の樋口隆文館、あるいは関西の挿絵・長谷川小信のことなど」『一寸』第42号、2010年6月発行で詳細を述べている。⑶ 『新作十二番』シリーズは、12冊の企画であったが、結果として8冊で終わった。饗庭篁村『勝⑷ 『美術世界』は編輯主任渡辺省亭で刊行。明治23年(1890)12月から同27年1月までの全25冊。彫を五島徳次郎、摺を吉田市松のコンビでの作業が主であるが、補助役として、摺の田村鉄之助(11号〜13号を担当、『國華』木版複製画の代表的摺師でもあった)、小松角太郎(14号〜16号を担当)が作業を行っている。⑸ 五島徳次郎は、「徳」あるいは「彫徳」名もある。春陽堂の仕事が多い。記録に残るところ、内藤恥叟著『訂正 小学修身訓』(高等科生徒用 巻之二)集英堂蔵版(明治28年3月6日発行・明治28年3月24日文部省検定済を披見)の挿絵に「五島刻」とある。また、明治錦絵制作も行い、明治27年には楊州周延画、森本順三郎版「見立十二支」(大判錦絵シリーズ)(「彫徳刀」)、同年の周延筆、森本順三郎版「やまと風俗 上野清水ヨリ不忍の眺望」大判錦絵三枚続(「彫工徳」)等がある。春陽堂では『美術世界』、『新作十二番』の『勝鬨』、『嫁入り支度に 教師三昧』、『梅その』を担当。20年代の住所は「東京市本所区小梅村293番地/五島徳次郎」。明治34年、泉鏡花著『三枚続』の鏑木清方画の彩色木版口絵に「彫徳」とあって、摺師は西村熊吉が担当(清方『こしかたの記』に記述あり)。明治37年の錦絵、耕暁画「日露戦争画報其一」牧金之助版(「彫工徳」)。明治44年の『現代画集(撫子の巻)』にも彫師として名前がある。⑹ 大倉半兵衛は代々名乗りがある。初代は版元京屋で明治3年没、二代は大正14年没で春陽堂の仕事に従事したのはこの二代目である。当初は錦絵の仕事で、明治10年11月18日御届の豊原国周画「勇肌初出の粧功」[役者絵]、水村常蔵版が知られる。春陽堂では、明治24年の『新作十二番の内・梅その』、『新作壱弐番之内・浦島次郎蓬莱噺』(幸堂得知著、芳年画)等。当時の住所は東京市京橋区中橋和泉町六番地。さらに明治44年の『現代画集(卯月の巻)』、『現代画集(撫子の巻)』の巻末担当一覧に彫師として名のある一人。他に大正4年の三重吉全集第六編『霧の雨』、『金魚』、『櫛』等の表紙「木版」(彫)を担当。同年の『縮刷 金色夜叉』の挿絵の彫も担当。因みに三代目は明治23年生まれ、旧姓は大竹。二代目半兵衛の甥にあたり、逗子の農家の倅である。⑺ 酒井留吉は摺師で春陽堂の仕事として、『新作十二番』、『文学世界』、『大通世界』のシリーズ― 126 ―師についても記載)。鬨』(大蘇芳年画)、紅葉山人『此ぬし』(大蘇芳年・渡辺省亭画)、山田美妙『嫁入り支度に教師三昧』(渡辺省亭画)、三昧道人『かつら姫』(松本楓湖・山本永興・藤島永柳画)、南新二『鎌倉武士』(水野年方画)、学海居士『十津川』、前田香雪『梅その』(川辺御楯画)、幸堂得知『浦島次噺郎蓬莱』(大蘇芳年・落合芳幾画)。彫を五島徳次郎、安井臺助、大倉半兵衛、摺を吉田市松、酒井留吉等が担当(奥付に姓名が示されている)。なお春陽堂の発行所は「東京日本橋区通四丁目五番地」。

元のページ  ../index.html#136

このブックを見る