裙をまとって沓を履き、右手に錫杖、左手に宝珠を執る。頭体通して、左袖を含んで一材より木取りし、木心は前方右寄りにはずす。右袖を含む右体側部、両手先、両足先を別材製とし、背面襟首付近と、右腰部付近から地付にかけての部分などに、朽損部分の補修のため別材が矧ぎ寄せられる。像表面は白土下地を施し彩色は剝落する。なで肩で抑揚の強調されない穏やかな体型であるが、面相部をやや面長に作り、唇の抑揚が強いやや癖のある表情で、また上端がやや尖った太い耳輪の耳など平安時代後期様式のなかでは古様な表現も残す。11世紀末~12世紀ごろの造像と広く捉えておきたい。不動明王立像〔図8〕は、像高158.7cm、髪際高149.2cmを計る等身大の像で、頭部は巻髪とし(ただし髪際のみ)、左肩に弁髪を垂下させ、頭頂に頂蓮、正面と左右に沙髻を表す。面相は、左目をすがめ、右目を見開きる牙上下出相とする。条帛、裙をまとって腰帯を着け、右手に剣(図版では外す)、左手に羂索を執る。頭体通して一材より木取りし、耳後を通る線で前後に割り矧ぎ、内刳りを施して三道下で割首し、背面に背板材を寄せる。右手は上膊、肘、前膊と手先と細かく矧ぎ、左手は一材で作る。像表面は布貼り、錆下地を施して彩色仕上げとし、裙と条帛に団花文が描かれる。怒りの表現は穏やかで、腕や足がすらりと伸びた調和の取れた体軀は、痩身とならず、充実した豊かさを残している。こうした体型は11世紀後半の作例である京都府・聖護院不動明王立像にも通じるところがあるが、その柔らかな肉身の立体表現に及ばないところもあり、やや降った12世紀の造像と想定したい。天部形立像〔図9〕は、像高164.5cm、髪際高147.6cmを計り、頭上に髻を結い、領巾・襟甲・肩甲・胸甲・表甲・下甲・前楯・脛当を付けて沓を履き、大袖衣・鰭袖衣・袴・裙を着け邪鬼を踏む。左手を振り上げて戟を執り、右手にも持物を執る(欠失)。頭体通して邪鬼を含めて一木より木取りし、背面やや左寄りに肩下から裙やや上に到る窓を開けて内刳りを施し、蓋板をはめる。右肩より手先までを一材製とし、左肩から手首までと手先を別材製とする。像表面は白土下地を施して彩色仕上げとする。眉を寄せて口を強くへしめた面相部の表現は形式化せず迫真的で、体軀は等身大の一木彫であることも相まって重厚な印象であるが、分節自体はゆるやかで穏健な作風を示す。久安2年(1146)ごろの造像とみられる京都府・金剛院二天立像が、やはり重厚で分節感の強調されない作風を示しており、こうした像を指標として、概ね12世紀前半ごろの造像と見ておきたい。もう一軀の天部形立像〔図10〕は、像高138.9cm、髪際高127.4cmを計る。頭上に髻を結って左右に炎髪を表し、丈高い襟甲・肩甲・胸甲・表甲・下甲・前楯・脛当を付― 4 ―
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