鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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― 134 ―この書簡に記されるように、「唐吉生」すなわち唐熊は、西湖有美書画社の建築予定地に大村と連れ合って赴いている。さらに唐熊が果たした役割については、近年公開された、唐熊が大村に宛てた手紙の記述から、より詳細な様子を窺い知ることができる。帰堂先生賜鑑。前後一箋の論邀、鑑を賜りしならん。金君鞏伯、画を携へ来日せり。先生と偕に聯合展覧会を開き、敝国の同人、諒に先生の徳を感ず。未だ貴国の画家及び報界の敝国の画件に対する評論の若何を知らず。便ち請ふらく示を賜はらんことを叩と為す。西湖書画会、熊より発起し、同士の賛助を徴求す。現に已に書画を認定すること二十件、巻を交する者五百余件なり。茲に将に書画・叙文を徴求すべし。教に寄上し、乞ふらくは転じて貴国書画家に分送するを為さんことを。下半年動工せんと擬し、十月竣を告すべし。幷に地図一紙を附呈す。湖に沿ひ建造せる三層楼の上、佈置するに悉く日本式に照らさん。貴国の画家□□し一たび歓迎を俟たば、想うに定めて賛助を蒙らんや。(原文漢文)(注11)この書簡には民国11年(1922)5月の日付が認められることから、唐熊は同年2月に大村が中国を発った直後より、西湖有美書画社設立のため、資金集めに奔走していたことを窺い知ることができる。また書かれた日付は不詳ながら、上記の手紙から程なくして大村に送られたと考えられる別の書簡には、以下のようにある。帰堂先生道鑑。示を辱し幷に賜書拝領す。復た之の印刷及び編輯、均しく精雅異常たり。諸画家に分致せば、咸な同もに都て提倡の懐に感繳せん。(中略)高氏の蔵画、現正、小林君に托して影景を摂らしむ。印を彙斉するを俟たれよ。一たび併せて席を寄せて法鑑に呈せん。情を承け心感するも尽くさず。上海及び北京、先生書画会を設立せんことを擬す。王君一亭願ひて籌欵購地を任はん。海上画家より画を捐てらること千余幅なり。售り得たる欵もて即ち建築すべし。現に已に発表せり。専ら上り、然るに着安せられんことを請ふ。後学唐熊頓首。廿日。(原文漢文)(注12)大村が唐熊に送った本とは、唐熊が画家たちに頒布することを勧めていることからすれば、『禹域今画録』と推測される。またこの書簡には、上海の画家たちより千余

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