⑺「東海西崖老人博通漢学、著作等身、(中略)択其画刻並清者精印成書、彙為叢刊、俾広流伝、誠盛挙也、因出贈旧蔵咸豊間蔡容荘名刻列仙酒牌原版、請附驥尾焉。癸亥六月唐熊記。」(『列仙酒牌』図本叢刊会、1923年、56頁)⑼『大阪朝日新聞』大正12年(1923)2月27日。⑽『東京美術学校校友会月報』第22巻第2号、1923年⑾塩谷前掲注⑴248頁。⑿塩谷前掲注⑴249頁。⒀このほかにも、大村に送られた書簡には、「帰堂先生賜鑑。寸函を前奉し、諒ふに台端に達せしならん。『列仙酒牌』、略ぼ尊意に照らして一記を繕へり。乞ふらくは斧正せられんことを。書後に付刊せん。(原文漢文)」ともある。『列仙酒牌』に附された跋文を見ると、款記は「癸亥(1922)六月」とあり、大村の第2回の中国視察の直後であることが見て取れる。【付記】 本論入稿後、筆者が勤務する海の見える杜美術館より、竹内栖鳳宛大村西崖書簡(大正12年10月5日付)が発見された。本書簡の文中には、関東大震災により「本年一月以来刊行為致候支那絵本叢書の木版六ヶ月分約五百枚下町に在りて全焼仕り之か復興には万余金を要すべく閉口罷在候」と、日本で彫られた『図本叢刊』の版木が関東大震災によって全焼したとある。⑷吉田前掲注⑴、9〜13頁。⑸『中華全国中日実業家興信録(上海の部)』上海興信所、1936年、9頁。⑹「此書は最も稀覯の珍本にして、原本は東京美術学校の所蔵に係り、殆ど本邦に於ける孤本なり。」(『第一回刊行報告 大正十二年一月 蘿軒変古箋譜 色刷一冊』、図本叢刊会、1922年)。⑻『列仙酒牌』に関する論考は以下を参照。小林宏光「講演 任熊の版画活動─『列仙酒牌』(一八五四)人物像の特質と制作意図に関する試論」『ビブリア 天理図書館報』130号、2008年、43〜64頁)。⒁塩谷前掲注⑴220〜222頁。⒂塩谷前掲注⑴222頁。⒃『十三松堂日記』第1巻、中央公論美術出版社、1965年、402頁。⒄吉田前掲注⑴、25〜28頁。⒅魯迅、鄭振鐸の漢籍復刻事業で『図本叢刊』との関連については、以下の報告がある。瀧本弘之「民国期伝統版画─詩箋にみられる一側面─『北平箋譜』から『詩婢家詩箋譜』まで」『アジア遊学』168、2013年。― 138 ―
元のページ ../index.html#148