鹿島美術研究 年報第31号別冊(2014)
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研 究 者:熊本県立美術館 学芸課長  村 上   哲華やかなりし1920年代のフランスで一世を風靡し、エコール・ド・パリの寵児として国際的な評価を築いた藤田嗣治(レオナール=ツグハル・フジタ)。近年、著作や企画の展開が著しいこの画家については、著作権など様々な課題が徐々に克服されて環境が整い、新たなる研究の地平へと進んでいる。本論考では、筆者が長く携わる藤田嗣治研究の一環として、最初の妻とみに送った1910年代の書簡をはじめとする第一級資料や親交の深かったパブロ・ピカソとの関わりを軸に、古典と同時代の芸術、西洋と東洋の美意識の融合など、フジタ芸術をめぐる「美の系譜」の一局面を取り扱う。2013年はフジタが1913年に渡仏して百周年を迎えた記念の年であった。これを契機として渡仏直後の実像や「美の古今東西」の問題を浮かび上がらせながら、フジタ芸術に新たな光を当てようとする試みである。Ⅰ 妻とみ宛ての書簡から─1914年2月10日付、パリ/シテ・ファルギエール発大正2年(1913)8月に渡仏した藤田嗣治〔図1〕は、日本に残してきた最初の妻とみに宛てて夥しい数の書簡を送っている。1913年6月から1916年11月までの3年半にわたって書かれたもので、107通の封書と72通の葉書が現存する。近年、筆者はこの書簡類の所蔵者の知遇を得て、実物を1年にわたって綿密に精査した。書面には渡仏直後のパリでの暮らしぶりや世相、美術界の様相や芸術家たちとの交友、古代芸術など西洋文化の源泉への関心や制作の状況、そして自らの芸術観などがつぶさに綴られており、渡仏直後の状況を克明に伝える第一級の資料として、多岐にわたる貴重な情報を提供してくれる。「美の系譜」という観点からとりわけ注目されるのは、ルーヴル美術館での研鑽を伝える一方で、同じ書面のなかでピカソのアトリエを訪れたことが綴られている1914年2月10日付の書簡〔図2〕である。この1枚の紙面は、渡仏直後の画家を取り巻く1910年代のパリの芸術的環境や興味・関心のありかを如実に物語るものとして、きわめて重要な資料であるといえよう。まず書面の右翼では、ルーヴル美術館に模写願いを申請して許可証を取り付け、所蔵品の模写のために通い詰める様子が綴られており、当時27歳の藤田の関心のありかを示す証左となっている。「先日大使館に願出て、当地ルーブル博物美術館で模写の出来る様にして貰った故又ルーブルにも願出て‥許― 141 ―⑭レオナール=ツグハル・フジタ再考─初期資料の検証を中心に/渡仏100周年を契機として─

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